仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

ブッダの出家の理由

12月の8日はお釈迦さまが仏のさとりを開かれた成道の日でもあります。
今から2600年前王子としてお生まれになられた太子は、
29歳で城を出られた。

出家されたわけです。

驚いたお父さんの浄飯王が5人の家来に命じて
何としても戻ってくるようにと探させた。
すると太子は、苦行林という大変激しい修行をする林の中で坐禅を組んでおられた。

五人の家来は、
『太子様こんなところで一体何をなさっているのですか。
あなたはやがて王となる方。
老人でもない。
病気でもない。
財産を失ったわけでもない。
家族と死別して世をはかなむ人でもない、それなのにどうして、
どうしてこんなところで修行されているのですか』

『奥様も御子様もみなあなたのお帰りを待ち望んでいるんです。
私たち家臣もあなたに期待しています。
父親様も帰りを待たれています。
どうか修行を辞めて
帰っていただきたい』
と切々と説得する家来達に言われた言葉があります。

『お前達には分からないのか!あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか!
ものは皆常住しないのだ。
いずれの日にか衰え、何れの日にか滅ぶ。
快楽のかげにも無常の響きが籠もっているのだ。

美女の奉ずる弦歌は欲をもって人を惑わすのみだ。
三界は悩みのみ。
猛き火の如く、浮かべる雲の如く、幻や水泡の如し。
若きを愛すれど、やがて老いと病と死のために滅びさるのだ』

ブッダ無常を観じて出家された。

 

東条英機が13階段を登ったときの様子

東条英機の辞世の句

日も月も蛍の光さながらに
行く手に弥陀の光輝く

日って太陽です。
月はお月さん。
太陽や月が蛍の光だと。
蛍って見たことある?
ちっちゃいよね。
よく田んぼにチラチラいるね。
田舎に行くと今でもあるでしょうけど。

今でもあるでしょうか。
東京ではもういません。
たまにデパートにいる。
蛍一匹500円。
尻が光るだけで。
金沢では田んぼのとこにいる?

しかしね、太陽が蛍の光
考えられる?ちょっと考えられないでしょ。
譬えとしても凄まじい譬えだ。
いくら何でも太陽が蛍の光はないだろう。

しかし、これまったく東条は何の誇張もなければハッタリもない。
太陽も月も蛍の光さながら。
この東条の心は明るい明るい。
行く手に弥陀の光が輝いている。
なんて私は心がハッキリしたのだろう。
いつ死んでも無量光明土

光明輝く世界に東条は行くぞ。
限りない光明の世界。
明るい世界です。
そしてまた、この阿弥陀如来のお力のことを超日月光とも言う。
日月を越えた光。
日も月も蛍の光さながらだ。
正に超日月光そのまま。

明るい心になれるんだ。
死んだら困るじゃないんだ。
いやあ嬉しい。
のびのびとねるぞ。
行く手が明るい。
微塵の暗さも不安も淋しさも動揺もない。

死の13階段を上るときアメリカの憲兵一人一人に
『有り難うあなたも阿弥陀如来の本願聞いて下さい、いつか遇って下さい』
と一人一人に感謝の言葉を述べて13階段を上った。

この阿弥陀如来  の本願によって、死んだらどうなるかハッキリしない
心の闇が解決できる。
これを後生の一大事という。

死んだらどうなるかハッキリしない心が、
生きている現在ハッキリするんです。
ハッキリした心になれる。
これが解決。
生きているときにハッキリするか
らこれを平生業成と言うんです。

死の恐怖(大石内蔵助)

大石内蔵助は、吉良邸に討ち入った。
「おのおの方、覚悟はいいか、死ぬも生きるも一緒でござる」
見事主君の仇を果たした暁には、主君の前で腹をかっさばこうと言っていた大石も、
いざ死ぬとき怖くて腹に突き刺せなかった。

腹切りは痛いし、すぐに死ねない。
『ぐさっ』とさして。
途中で死んでくれたら良いんだけど腹切っても死ねない。
で、抜いて、また刺してこうして十文字腹。
痛いんだぞ。
これまで切腹した人は痛かっただろう。
あれは痛そうだぞ。

小学校の頃、
起立、礼、着席、
その時に椅子の上に画鋲を置いておく、で、
『あいた!』
それでも痛いのに、十文字に切る。
これは痛い。
その苦しみに耐えられなくなるから、
苦しむのを見るのに忍びないから介錯人がいる。
あれは親切なんだぞ。

ところが大石内蔵助介錯人はいつまでたっても大石が腹に刺さない。
ずっと介錯人が立ったまま。
『大石殿まだでござるか。』

何をしているのか。
手が震えてさせなかった。

死の恐怖のために大石ほどの男でも腹にさせない。
一時的に感情が高ぶってもう死んでも良いと言うときは死ねるけど、
それは興奮状態で気がどうかなっている。
でも落ち着いて考えてみると怖くて仕方がない。

当時大石は男の中の男。
今でもそう言われているんだから。
この大石殿の名誉に傷を付けてはならないと言うことで

大石の腹に突き刺す前に首を刎ねた。
これ『横から見た赤穂浪士という本』書かれている。
それだけ死の恐怖はすさしまじい。

東条英機の3つの辞世の句

東条英機
昭和23年12月23日午前零時一分。
この日何の日か知ってる?
何の日?
わからない?
クリスマスイブイブじゃないよ。
天皇誕生日

どうせ冬休みだから嬉しくも何ともない。
その天皇の息子の誕生日に殺してやると。
嫌がらせの極地だね。
アメリカはいいところもあるよ、でも一旦腹を立てるとどうしようもないんだね、
あの国は。

その真夜中の死刑。
その七分前、東条英機が歌を詠んだ。

●さらばなり有為の奥山今日越えて
弥陀のみもとに行くぞ嬉しき

●明日よりは誰にはばかるところなく
弥陀のみもとでのびのびと寝ん

●日も月も蛍の光さながらに
ゆく手に弥陀の光輝く

仏教によって救われた東条英機
これから死刑になる直前にも明るい辞世の句をのこしている。

デカルトの臨終

デカルトは、神が中心だった当時に、我思う故に我ありと、
人間を中心に考え始めた。

近代哲学の父といわれる。

では、そのデカルトさんは、死んで行くときどうだったか。

デカルトさんは、物心二元論と言って心と肉体は別だ、分離するんだ。
『さあ私の魂よ、勇気を持ってこの分離に耐えなさい』
と自分を励ましている。

今こそ肉体の牢獄から解き放たれるときだ。
解き放たれて自由になれるなら勇気も何もいらない。
ほんとは怖くてしょうがないから、勇気を出せ。
おそれるな。

何でそんなに励まさなくてはいかんのか。
怖いから。
丁度手術に臨んで、大丈夫だよ、良い医者だし、といっていても、
心の中では『勇気を出せ』

それは怖くてしょうがないから。

死に臨むと、死んだらどうなるのだろう

死後の世界は全く分からない。
心が真っ暗になる。

夏目漱石の最期

生と死という問題ですが、
実際過去どんな人達が死に臨んでどんな言葉を残していたのか。

あなたの財布の中にもこの人の顔あると思うけど、しってる?
夏目漱石

どんな人?夏目雅子さんのお父さんかな?
関係ない。

夏目漱石というと文豪だね。
どんな作品があるかな。
『坊ちゃん』
三四郎
読んだ?

こころって暗い小説ね。
高校時代教科書に載ってたけど暗くて暗くて。
坊ちゃんとか吾輩は猫であるとかは有名。
日本の本で最も海外に翻訳されている人の一人です。

この人普段は『則天去私』といっていた。
天に即して己を去る。
私というものがもうない。
何か禅宗の悟りに『行雲流水』という言葉がありますが、
雲が行くが如く水が流れるが如く何があっても淡々と流れに任せる境地を
『則天去私』と言ったのですが。

彼実際胃潰瘍で亡くなった。
夏目漱石は、大変苦しんで胸をかきむしって体の中が非常に暑くなったそうで、
着物をはだけて家族に『ここに水をぶっかけてくれ』と言ったそうです。

そして最後まで『今死んだら困る、今死んだら困る』
元気のいいときは則天去私なんて格好の良いことを言っているけど
実際臨終がやってくると行雲流水どころじゃない。

そんな言葉は吹っ飛んでしまう。
目の前に広がる真っ暗な後生に驚くしかない。
真っ暗。
これがホンネ。

 

この真っ暗な心の闇を解決するには、
仏教を聞くしかない。

 

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板挟みにあったお釈迦さまの答え

あるときお釈迦さまのもとに、鳩が逃げ込んできた。

「鷲に追いかけられています。
見つかったら食べられてしまうので隠れさせてください」

慈悲深いお釈迦さまはかくまってやった。

次に鷲が飛んできた。

「お釈迦さまここに今はとが来ませんでしたか。
ここ何日も何も食べていなくて、あの鳩を食べなければ死んでしまいます。
鳩がどこへ行ったか教えてください」

鳩を逃がせば鷲は死に、
鳩を出せば鳩が死にます。

このときお釈迦さまはどうされたでしょうか?

私たちは、普通楽な道を選んでしまいますが、
お釈迦さまは無上の道を選んでおられます。

まず、「仏語に虚妄なし」と言われるように、
お釈迦さまはウソはつかれません。

「いかにも先ほどここに鳩は逃げてきた。
しかし、そなたの空腹は、鳩の肉でなければならないのか」

「いえいえ同じくらいの肉なら別の肉でも大丈夫です」

「それでは私の肉を与えよう」
お釈迦さまは、ご自分の肉をそぎおとされて、
鷲に与えられたのです。

 

片方を立てると片方には角が立つ。
人間関係でお悩みの人もあると思います。
こちらをたてればあちらに角が立つ。
長い間人間をやってますとそういうことあります。
そう言うとき私達、楽な道を選んでしまいますが、
釈尊は無上の道を選んでおられます。
一つの教訓です。

私たちも、苦しい道を選ばなければなりません。