仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

法蔵菩薩の願心

正信偈で、
阿弥陀如来がまだ菩薩の頃、
法蔵菩薩といわれていたとき、
世自在王仏のもとで、修行に励んでおられた。

あるとき、法蔵菩薩が世自在王仏に手をついて、
お師匠様、お願いがあります。
すべての人を見ていると、生きる目的を知らず、
生き方ばかりで苦しんでいます。
どうか、助けさせてください。

ところが世自在王仏は、
あれは金輪際助からないものなのだ。
無駄だからやめておけ。

師匠の弟子に無駄な努力をさせたくないと思う心です。

ところが法蔵菩薩は、
それでは私が見捨てたら、あの者たちは絶対助かりません。
どうか助けさせてください。

やめておけ、助けさせてください
やめておけ、助けさせてください
と押し問答が繰り返されます。

世自在王仏が法蔵菩薩になんとかやめさせようとたとえでいわれた。
それは、大海の水を貝殻でくみ干して、底に沈む宝を
身体をぬらさずにとってくるよりも難しいことなのだ。
だから大無量寿経にこのように言われています。
「たとえば大海を一人升量せんに、劫数を経歴して、
 尚底を窮めてその妙宝を得べきがごとし」

法蔵菩薩は底なしの慈悲によって
「それでもなんとかやらせてください」
といわれる。。
世自在王仏は根負けされて許可を出された。
そのとき法蔵菩薩は、自分が救われたがごとく飛び上がって喜ばれた。
これを法蔵菩薩の願心という。

 

法蔵菩薩の願い

阿弥陀仏がまだ仏のさとりを開かれる前、
法蔵菩薩という名前の菩薩だった頃、
世自在王仏という仏のお弟子でした。

ある日、法蔵菩薩が先生の世自在王仏のもとへやってきて、
「先生、ひとつお願いがあります」
と手をつきます。

普通お願いというのは、自分の利益になることばかりです。
中米での地震で苦しんでいる人に幸せになってもらいたい
とはなかなか思えません。

法蔵菩薩はどういうお願いをされたのかというと、
「どうか十方衆生を助けさせください」
ということです。

十方衆生とは、大宇宙の全ての人です。
この中に入らない人はありません。

このように法蔵菩薩が世自在王仏に
「どうか助けさせてください」
とお願いをされるということがありました。

これは、いいこと。
いいことなら、先生に聞かなくてもいいのではと思う。
なぜか。

仏教ではどんないいことでも、許可を得ていなければ悪いことになってしまう。
それは本当にいいことかどうか、
迷いの深い私たちには、判断できないからです。

仏道を求めるときは、私たちもそのようにすべきなのです。

 

阿弥陀仏からの2つのプレゼント

阿弥陀仏からの頂きものを他力回向といいます。

他力回向には2種あります。
往相回向
還相回向
の2つでする

往相とは、往生浄土の相状
還相とは、還来穢国の相状
です。

こういう姿にしてくだされるという
阿弥陀仏からのプレゼントです。

阿弥陀仏はお年玉をくださらない。
回向を2つセットで下されます。

往相いつ死んでも極楽参り間違いない身
後生明るい心にして下されます。
往生 一定の正定聚です。
それは心の闇が晴れた状態です。

これが全人類にとって本当の幸せ
後生明るい心になります。
これがねらい目、阿弥陀如来 の目的です。

これを今日の言葉でいえば絶対の幸福です。
そうなったらどうしても伝えたいなんとか伝えたいという身になる
そんな人の為にプレゼントです。

還相
極楽へ行ってもすぐに帰ってきて伝える事ができるようになる、
ということです。

ご恩の大きさ=幸せの大きさ
身を粉にしても骨を砕いても返せないという事は
それだけ大きな幸せです。

そんな私たちに還相
ご恩報謝させて頂けます。

仏教の先生の条件

今日は成人式、いかがお過ごしでしょうか。
成人にちなんだ話。


仏教の教えを私たちに伝えるのは大変です。
私たちはなかなか受取れません。
仏教に説かれる真実を体得し明らかにして下される方、
仏教の正しい先生が少ないのです。

阿弥陀如来 の本願を正しく伝える方、
善知識は信心獲得の体験と深い教学、
この2つがなければ伝えられません。


江戸時代、好色五人女
八百屋のお七という少女がいました。

彼氏に会いたいために火付けをして捕まりました。

当時火付けは、火あぶりの極刑。

悪気のないことを知った奉行が、
お七を何とか助けたいと思い、
白砂に引き出されたお七に、
「これお七、うそをつくな」と怒鳴りました。
蚊の鳴くような声でも「はい」といえば、
無罪放免してやろうと思いました。

ところが、お七は助かりたい一心で、
正直なほうがいいだろうと
「いえいえ、間違いなく私が火を付けました」
といいました。

そこで奉行は、
「お前は未成年だろう」
と怒鳴ります。

蚊の鳴くような声でも未成年だと言ってくれたら、
罪を減らしてやろうと思ったのです。

ところが、お七は助かりたい一心で
正直なほうがよかろうと、
「いえいえ私は間違いなく成人です」
と言ってしまいました。

それで、仕方なく奉行は、法律通りに火あぶりにした。

それを当時の人々が憐れんで、

恋で身を焼く 八百屋のお七 飛んで火に入る 夏の虫

とうたいました。

どうすればお七が助かったでしょうか?
奉行の心を知り伝える人がいれば助かりました。

奉行の心知っていないといけません。
奉行の側近でなければなりません。
風車弥七のような人

阿弥陀仏は何とか十方衆生を助けんと力尽くされています。
私たちも何とか助のですと思っています。

が、善知識がおられなければ絶対に真実分からない。
助からない。

善知識
阿弥陀如来の御心が分かっている人です。
信心決定した時に分かります。

どうしたら伝える事ができるか
仏教を伝える方法を知ってなければなりません。

true-buddhism.com

仏教を聞く気が起きない

仏教は、
唯説弥陀本願海
といわれるように、
阿弥陀如来の本願一つを説かれたものです。

阿弥陀仏は、私たちが苦しみ悩んでいるのをご覧になられ、
何を苦悩の根元と見抜かれたかというと心の闇です。

阿弥陀如来 の本願は
心の闇を破ってみせるというお約束です。

心の闇は、弥陀の光明に照らされてハッキリします。
それまでは分かったようで分かっていないのです。

いつも真実を説き切って下さるが、みんな分かりません。
凡智にはどうしても乗りません。
そんなものを求めようと思わないのです。

新興宗教のほとんどは金病気直しです。
誰でも分かるから飛びつきます。

全然聞く気のない者に
真実を説き示す事は大変です。

仏教ウェブ入門講座

なぜ仏教を聞きがたいのか

なぜ仏教を聞きがたいのかというと、
正しい仏教を説かれる方がほとんどないから
ということに加えて、
私たちに真実を聞く耳がないからです。

そのため、仏教の教えと接点がないのです。
凡夫のまことはまことがないのが凡夫のまこと
仏のまことはまことがあるのが仏のまこと

私たちの欲望を満たすものならばもっともっと聞きます。
お金が儲かるなら、みんな聞きます。
ところが私たちの認識に乗らないから聞き難いのです。

この仏教を聞かせて頂き信心決定するというのは
いかに有り難い事でしょうか。

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長男を勘当された親鸞聖人

外道邪教親鸞 聖人は徹底的に排斥したのですが、
それで起きたのが善鸞義絶です。

世間の学者は善鸞義絶の事件ぐらいは知っていますが、
その理由など、親鸞聖人の教えが分かりませんと、
書くことはできません。

それは、善鸞が仏教の教えに反し、
神に仕えたからです。

それは間違いなので、親鸞聖人は破邪顕正され、
改めないので、義絶されたのです。
破邪顕正に絶対に私情を入れてはならないのです。
どんな親でも子供は可愛いものです。
私情を乗り越えられたのです。

「あの人はどうだ!」とか思うのが、
様々な感情です。

一切の外道を捨てないと絶対に助からないと
仏教の教えを徹底的に厳しく教えていかれました。
弟子がそこまでなさらなくてもと言われるほどです。

私情の中には、私達、人から悪く言われたくない、
非難されたくない、褒められたいとかいう感情ありますが、
親鸞聖人は厳しい破邪顕正の道を進まれています。

苦しい中、私情を捨て涙を流されて
一向専念無量寿仏を徹底されたからこそ、
また私達が本当の仏教を聞かせて頂けるわけです。