仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

天地創造

普通、宗教では、天地創造の神話があります。

神道にも、イザナギイザナミの日本を生んだ国生みの物語があります。

それは、ユダヤ教キリスト教イスラム教も共通して、エホバという創造主がいます。
3日目に太陽と月をつくったとか6日で世界を作って、7日目は日曜日にしたと言っています。

ところが、仏教ではそういう、創造主はいません。

万物は因縁生なりと教えられています。

この世のすべては因縁によって生じたということです。
米はもみだねを因として、空気や土、肥料などを縁として生じた結果です。

雲や霧もそうですし、雨も、雪もそうです。

天地創造では、の因は何ですか?と聞いたら、何も出てきません。
第一原因があると、すべては因縁から生じたことにならないのです。

仏教では、

芥子粒の中に三千大千世界を入れて広からず狭からず

と教えられています。

芥子粒という小さな小さなものも、因縁によって生じています。
因を遡れば、その前に芥子の花があり、その種があり、その前の花があり……とどこまでも遡れます。

また、縁をみれば、空気があり、太陽があり、大宇宙が一つの芥子粒ができるのに関係しています。

このように、因縁によって生じているということは、大宇宙がこの芥子粒におさまっているということです。

すべては因縁によって生じたと教えている仏教には、神によって天地ができたなどという天地創造神話があるはずがないのです。


【第8話】仏教と他の宗教の違い(キリスト教徒が激怒するかも?)

運命が作られる仕組み

阿頼耶識とは何でしょうか。

私達が行いをすると力となって残ります。
行いは、物質とエネルギーになります。

私と皆さんは、エネルギーに変わっています。
心で考えるときにもグリコーゲンを使っています。

物質とエネルギーは同じものです。

物理学では質量保存の法則とか
エネルギー保存の法則というものがあります。

ちょうどそのように、行いをすると、業力となってのこります。
エネルギーとなって、残るなら、分かります。

階段をのぼると、位置エネルギーとなります。
落ちたら、位置エネルギーが、目に見えるわけではありません。

そのエネルギーをどのようなことに使ったかは問題になりません。
通り魔が人を刺した、5000キロカロリーを使いました。
お年寄りのカバンをもって5000キロカロリーを使いました。
どちらも科学的には同じです。

この行為には、違いがある。量だけではありません。
不滅の業力となって、善業力、悪業力とあります。

科学では、人殺しも、親切も同じです。
科学では計測できないが、仏教では教えられています。

不滅の業力となって蓄えられてるのが、阿頼耶識です。
アラヤというのは、蔵のことです。
何が保管されているでしょうか。

縁がそろって運命が生み出されます。
はいません。
ホーキング博士は、神の出番はないと言います。
神は人間が作り出した妄想だと言っていました。

ブッダは、私達の運命は私達の行為によって生み出されると教えられています。
自分の過去の行為によって、運命は決まります。
行為が自分の世界、運命を生み出しているのです。


あなたの運命はこうしてやって来る(運命の因縁)

情けは人のためならず・布施の大切さ

仏教では色々なが教えられています。

諸善万行の行とは、善のことです。
この色々な善を6つにまとめられたのが六波羅蜜です。


あらゆる幸せを生み出す6つの要素(六波羅蜜とは?)

六度万行ともいいます。

」とは、わたすということで、苦しみ悩みの人生を渡ることができる、ということです。

その六波羅蜜の一番最初にあげられるていのが布施です。

布施とは、普く施すということで、与えるということです。
喜捨といって喜んで捨てるということでもあります。
現代の言葉でいいますと、親切のことです。

人のために喜んで与えるのに2つあります。
法施と財施です。

財施とは、お金やものを施すことです。

情けは人のためならず

ということわざがありますが、その意味として、「その人のためにならない」と思っている人があります。
H12とH22で、意識調査がありました。
               平成12年度調査        平成22年度調査
人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる
(本来の意味とされる)        47.2パーセント        45.8パーセント

人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない
(本来の意味ではない)  48.7パーセント        45.7パーセント

だんだん誤解が進んでいますが、
本来は、人のためでない。自分のためになるという意味です。

財施というのは、自分の幸せを生み出すのです。
因果応報なのです。

 


最高の幸せを生み出す「布施(ふせ)」とは?

 

科学と仏教

現代物理学も驚くほどの科学です。
20世紀になって、物質の質量とエネルギーは変換できることを発見しました。

しかし、そのようなことは、仏教ではすでに言われていました。

人間の心についても、仏教は詳しく明らかにされているため、大脳生理学も役立ちます。
大脳生理学の人も、仏教に関心を持っています。

一昔前の心理学というと、ユングフロイトのような、有名な学者たちも、仏教に注目しています。
昭和60年には、ジャーナリストの田原総一朗さんが、人工知能の父といわれるマービン・ミンスキー教授と対談して、マービン・ミンスキー教授は仏典を勉強していると言っています。

どうしたら、人の心が分かるようになるかと、色々な本を読むと頭で分かる部分もあります。
しかし、自分の心が、コントロールできません。

思ったらいけないと思うまま、とても人に言えないような悪ばかりが浮かんできます。
人間の心は複雑です。

唯識というのは、分かり易くいえば、仏教心理学といえます。
ところが、大変深いもので、桃栗三年柿八年をもじって唯識三年倶舎八年と言われます。唯識を学ぶには、7、8年かかるということです。
龍谷大学などの仏教の大学で、大学院も3,4年行っても分からない可能性があります。

仏教というと、神秘的だとか、非科学的だと思うかもしれませんが、現代の科学や心理学の先を行く、それほど深いことが教えられているのが仏教なのです。

しかも、科学や心理学では分からない、本当の生きる意味が教えられています。

 


真理とは?私たちが求めてやまないたった1つのこと

布施をしなければ臨終に後悔する?

ブッダは、布施を勧められています。

布施とは、お金や物を施すことですが、何かを手伝うことも布施ですので、一言でいうと、親切のことです。

布施は尊い善ですので、布施をした人には、善因善果で幸せが作られます。
因果応報なのです。

ところが、私たちには深い欲望があるので、なかなか布施はできません。
お金や物は自分が欲しいので、とても他人に与える心はないのです。
そんな中、他人に親切にするというのは、大変な幸せが生み出されるのです。

ではいつ布施をすればいいのかというと、欲深い私たちは、後回しにしようとします。
しかしブッダは、あとではなく、思い立った時にすべきことをたとえで教えられています。

ある男が、たくさんの人を牛乳の料理でもてなそうと思いました。

しかし、たくさんの人をもてなすには、一日分の牛乳では足りません。
そこで、どうしたものか思案した結果、牛の中に、牛乳をためておいて、当日の朝、一気にしぼればきっと溜めた分の牛乳が出るだろうと思います。

そして、一ヶ月ほどためて、当日を迎え、牛乳をしぼりますが、牛はすっかり牛乳が出なくなってしまって、一人分の牛乳もしぼることができませんでした。

このように、私たちは、お金を貯金してから、布施したら、たくさんの布施ができると思いますが、実際にはそうではありません。

お金がたまればたまるほど欲が出てきて、布施は難しくなっていくのです。

それに、泥棒に入られてお金を失ったり、何か別の欲望のために使ってしまったりして、結局布施ができなくなります。
だんだん惜しくなってくるのです。

しかし死ぬときには一円も持って行けませんが、布施の功徳は、業力となって死んでも続くので、布施しておけばよかったと後悔します。

だからブッダは、ためてからではなく、思い立ったときに布施をしなさいと教えられているのです。


最高の幸せを生み出す「布施(ふせ)」とは?

情けは人のためならず・布施の大切さ

仏教では色々なが教えられています。

諸善万行の行とは、善のことです。
この色々な善を6つにまとめられたのが六波羅蜜です。


あらゆる幸せを生み出す6つの要素(六波羅蜜とは?)

六度万行ともいいます。

」とは、わたすということで、苦しみ悩みの人生を渡ることができる、ということです。

その六波羅蜜の一番最初にあげられるていのが布施です。

布施とは、普く施すということで、与えるということです。
喜捨といって喜んで捨てるということでもあります。
現代の言葉でいいますと、親切のことです。

人のために喜んで与えるのに2つあります。
法施と財施です。

財施とは、お金やものを施すことです。

情けは人のためならず

ということわざがありますが、その意味として、「その人のためにならない」と思っている人があります。
H12とH22で、意識調査がありました。
               平成12年度調査        平成22年度調査
人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる
(本来の意味とされる)        47.2パーセント        45.8パーセント

人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない
(本来の意味ではない)  48.7パーセント        45.7パーセント

だんだん誤解が進んでいますが、
本来は、人のためでない。自分のためになるという意味です。

財施というのは、自分の幸せを生み出すのです。
因果応報なのです。

 


最高の幸せを生み出す「布施(ふせ)」とは?

 

どうしたら絶対の幸福になれるのか

どうしたら絶対の幸福になれるのかは、蓮如上人が明解に教えられています。
絶対の幸福になることを信心獲得ともいいますが、蓮如上人は、信心獲得は何によって決まるのか、『御文章』4帖目1通にこう教えられています。


されば弥陀に帰命すというも信心獲得すというも宿善にあらずということなし。
(御文章)

弥陀に帰命すというのは信心獲得と同じ意味です。
信心獲得は宿善によって決まるということです。

ですから、このようにも教えられています。
無宿善の機に至りては力及ばず。(御文章)

宿善がない人は、どうにもならないということです。
助からないということです。

では宿善とは何かというと、宿善の宿は宿世、過去世、ということです。
宿善の善は、善根、善い行いということです。

ですから宿善とは、過去の善のことです。

道綽禅師の『安楽集』では、三恒値仏の因縁といわれています。
宿善がなければ、本当の仏教にはあえないのです。

親鸞聖人は、こういわれています。

恒河沙の諸仏の 出世のみもとにありしとき
菩提心おこせども 自力かなわで流転せり

真の幸せになりたいという大きな菩提心を起こしたけれども、
自力の仏教で助からなかった、ということです。

御文章4帖目15通には蓮如上人はこういわれています。

あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり、
まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし。

信心獲得は、宿善まかせということです。

宿善は聞法心となってあらわれますから、どのくらい仏教が聞きたいかによって決まるのです。

その聞法心に導かれて、仏教を聞き開き、絶対の幸福に救われるのです。


他力本願の本当の意味・他人に依存?幸せにする最強の力?


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