仏教研究室

仏教を研究しています。

生きる意味を聞ける仏教講座

人身受け難し、今已に受く。 仏法聞き難し、今已に聞く。 この身今生に向って度せずんば、さらに いずれの生に向ってか、この身を度せん。 度するというのは、永遠の幸せになること。それは、仏教にのみ教えられている。生まれがたい人間に生まれて聞き難い…

なぜ人間に生まれたことを喜ぶ?

なぜ人間に生まれたことが喜ぶべきことなのか。 源信僧都の横川法語という言葉があります。 まず三悪道を離れて人間に生まるること、大なるよろこびなり。身は卑しくとも修羅に劣らんや、家は貧しくとも餓鬼にはまさるべし。心におもうことかなわずとも地獄…

仏教講座で説かれる説法とは

本物の仏教講座ではどんなことが説かれているか。 正しい仏教の説法は、虎の説法という。ある人がいくら虎を書いていても虎がかけないから、猫を描けということで猫はかけるようになったが、一生虎をかけないようになった。 これは何をたとえられているかと…

仏教講座に行くのは誰の力?

よくこの世の人生のことでうようよするとかうじうじするとかいう人いるでしょ。 自殺しようとする人とか、怨念こもっているのにわら人形に刺すくぎを探している人とか、目の前にくよくよするとかいう人があると、人間ってそれなりの解決方法を一生懸命やる。…

仏教の先生をおろそかにしてはいけない理由

お釈迦さまは、善知識はさとりの全因縁といわれている。 善知識とは、正しい仏教の先生。 これについて「仏法を聞き求めていくあなたの気持ちを言ったもので、ハイかしこまりましたと言える善知識に会えた人が幸せ。はじめから真の知識と心中できる人はいま…

神に仕えようか悩む

熊野といえば「権現」です。もとは仏であったものが「権」りに神として「現」れたものを「権現」といいます。仏教の中には『本地垂迹説』というのがあって、確かに神として仏が現れるということは説かれています。 それを持ってきて、仏教で説かれる「神」と…

南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違い

お釈迦さまの教えは「南無阿弥陀仏」一つです。この解説をせられたのが釈尊です。 浄土真宗の親鸞聖人は「更に親鸞珍しき法をも弘めず如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」ということで釈迦如来の教えられたことをそのまま教えられました。…

ブッダの出家の理由

12月の8日はお釈迦さまが仏のさとりを開かれた成道の日でもあります。今から2600年前王子としてお生まれになられた太子は、29歳で城を出られた。 出家されたわけです。 驚いたお父さんの浄飯王が5人の家来に命じて何としても戻ってくるようにと探…

東条英機が13階段を登ったときの様子

東条英機の辞世の句 日も月も蛍の光さながらに行く手に弥陀の光輝く 日って太陽です。月はお月さん。太陽や月が蛍の光だと。蛍って見たことある?ちっちゃいよね。よく田んぼにチラチラいるね。田舎に行くと今でもあるでしょうけど。 今でもあるでしょうか。…

死の恐怖(大石内蔵助)

大石内蔵助は、吉良邸に討ち入った。「おのおの方、覚悟はいいか、死ぬも生きるも一緒でござる」見事主君の仇を果たした暁には、主君の前で腹をかっさばこうと言っていた大石も、いざ死ぬとき怖くて腹に突き刺せなかった。 腹切りは痛いし、すぐに死ねない。…

東条英機の3つの辞世の句

東条英機。昭和23年12月23日午前零時一分。この日何の日か知ってる?何の日?わからない?クリスマスイブイブじゃないよ。天皇誕生日。 どうせ冬休みだから嬉しくも何ともない。その天皇の息子の誕生日に殺してやると。嫌がらせの極地だね。アメリカは…

デカルトの臨終

デカルトは、神が中心だった当時に、我思う故に我ありと、人間を中心に考え始めた。 近代哲学の父といわれる。 では、そのデカルトさんは、死んで行くときどうだったか。 デカルトさんは、物心二元論と言って心と肉体は別だ、分離するんだ。『さあ私の魂よ、…

夏目漱石の最期

生と死という問題ですが、実際過去どんな人達が死に臨んでどんな言葉を残していたのか。 あなたの財布の中にもこの人の顔あると思うけど、しってる?夏目漱石。 どんな人?夏目雅子さんのお父さんかな?関係ない。 夏目漱石というと文豪だね。どんな作品があ…

板挟みにあったお釈迦さまの答え

あるときお釈迦さまのもとに、鳩が逃げ込んできた。 「鷲に追いかけられています。見つかったら食べられてしまうので隠れさせてください」 慈悲深いお釈迦さまはかくまってやった。 次に鷲が飛んできた。 「お釈迦さまここに今はとが来ませんでしたか。ここ…

あなたはいつ仏教を聞きますか?

あなたは仏教を聞きませんか? 『仏法?まだわしは若い』『お爺さん何才ですか』『80歳だ』 そういう人がいる。 80歳のおじいちゃんが若いと言っている。毎年12月年末になると年内になくなった方の名前が報じられます。 有名人では、小渕首相も亡くな…

浄土真宗で教えない親鸞聖人の論争

現在の東西本願寺はじめ浄土真宗十派では、三大諍論教えない。教えたら自分の首をしめる。坊主と言っても無知なんです。 たとえば親鸞聖人と善慧房証空との体失不体失往生の諍論。この体失不体失往生とはどういうことか。 往生とは、救いのこと。 親鸞聖人は…

阿弥陀如来から頂く慈悲とは

考えてみると人間と言うのは、娑婆で泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり、喜怒哀楽を繰り返して一生を終えていく。 どんな金持ちも、地位も名誉も財産もおいて死んでいく。全て娑婆の中のでき事。自民党が分裂、所詮は自民党の中のでき事。アメリカ大統領…

疑情と煩悩の違い

正しい信心を獲たら心がどう変わるか、 ということをあなたはっきり知っておいて頂かなくてはならない。 なくなるのは疑情です。欲や怒りや愚痴の煩悩はなくなりません。 疑情がなくなって明るい心になったことを、本願文ではどう仰っていますか?信楽の「信…

救われたらハッキリする。

世の中には、救われたかどうかハッキリしない人ばかり。 いつとはなしに救われたとか。 しかし、それが救われたといえるのか。 肩の糸くずを取る。「分かったかな」「分かりません」糸くずが取られたくらいでは分からない。 しかし、担いでいた椅子を取る。…

他力の信心と自力の信心の違い

「弥陀の本願まことにおわしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおわしまさば、善導の御釈虚言したもうべからず。善導の恩釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候…

浄土真宗の親鸞聖人が本を書かれた目的

浄土真宗を開かれた親鸞聖人の主著『教行信証』後序のお言葉後序というのは後書きということ 「慶ばしきかな。心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し茲によりて真宗…

諸行無常……いろは歌

涅槃経のお言葉 「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」「諸行無常」この世の一切のものは常が無く変化しこの世の幸せも変化してしまう。先ほどの朝日の夕刊、安全と今まで言われたシンガポール空港、世界の沢山の中シンガポール航空はお客さんのアンケー…

南無阿弥陀仏の2つの働き

南無阿弥陀佛は智慧と慈悲が封じ込められている。智慧は無量光、慈悲は無量寿。智慧のはたらきによって生死に止まらない。苦しみ悩みに立ち止まらない、断ち切って下される。娑婆に止まらず必ず極楽浄土にいける。一日たてば一日、一年たてば一年と確実に極…

人生は選択の連続

若い時代が一番打ち込めるから。若い時代は一番遊びたい時機です。若い時代しか遊べないと言う人がありますが、しかし若い時代しか真実を求めるときはないといってもいい。 「若きとき仏法はたしなめ」と候、「年よれば行 歩も叶わず、睡くもあるなり、ただ…

露の命をながらえて……

今日もまた露の命を長らえて仏の法(のり)を聞くぞうれしき こういう風にあなたは聴聞して貰いたい。今日も又、ひょっとしたら死んでいたかも分からないのに儚い露の命なのに長らえさせて貰った。その長らえた命は仏法を聞くため。人生は聴聞のため。人生は…

信心から出てくるもの

あれば鳴るなければ鳴らぬ鈴の玉胸に六字のあればこそ鳴る この鈴の玉、これを信心に喩えています。鐘が鳴る。これ念仏のこと。玉が有ればなります。なければなりません。六字という鈴の玉が有れば念仏が出てくる。そういうことなんですね。鈴でも、中に玉が…

救われても極楽に往きたくない

極楽はありとは聞けど片便り冷飯くうても娑婆におりたい これはどう言うことか。今信心決定していない人は、いくら極楽浄土があると聞かされても信じられない。信心決定する前は極楽浄土がいくらありと聞かされていてもハッキリ分からない。救われたものから…

無常・死後の世界への旅立ち

旅立ちの用意はよきか深夜でもいざ鎌倉の秋は来るなり 鎌倉の秋と書いて『とき』。いざ鎌倉のときは来るなり。これはどう言う意味か。 旅立ちは死後の世界への旅立ち。私たちは100%死んでいく。老後は段々と来る。老後までには時間がかかるが後生は突然…

心の底の奥の院の本尊は、仏像ではなく鬼

みな人の心の底の奥の院探してみれば本尊は鬼 私たちは迷いが深い。その迷いを破って真実を明らかにして下さる歌。 これを理解し覚えることであなたの心を顕正できる。顕正とは正しいことを明らかにする。 これは私たちの真実の自己はどんなものかについて教…

悪を悪とも思わないというのは、心の麻痺?

信仰がすすむと、悪を悪とも思わない心が知らされてくるということは、罪悪に関する感覚が麻痺するのでしょうか? これは鈍感、鈍くなると言うことではありません。悪を悪とも思わない自分だなということが知らされてくる。仏法を聞くまえとくらべてこれが悪…