仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

仏教

死ぬのは誰?

浄土真宗の葬式でよく読まれる白骨の章に「我や先、人や先」と書かれています。 これは、死ぬのは私が先で、他人が後だということです。 普通私達は、逆で「人や先、我や先」と思っています。 死ぬのは他人だと思っているのです。 それならまだいい方で、「…

死後の世界には何も持って行けない

死ぬときにはすべておいていきます。 家康は日本を統一しましたが死ぬときに死後の世界に日本を背負っていけませんでした。 秀吉は大阪城を死後の世界に背負っていけませんでした。夢の又夢といって、全部手放しています。丸裸で生まれてきたから丸裸で死ん…

苦しみや虚しさが解消されない原因

全人類が皆幸せを求めていながら、結局苦しみ悩みが少しも解消されません。幸せを求めているのに幸せになれない不条理な世界です。 それはなぜかというと苦しみの元が分かってないからです。 それに対して仏教では流転輪廻の際なきは疑情のさわりにしくぞな…

生き方を変えても同じことの繰り返し

仏教では人生が同じことの繰り返しであることをこのように教えられています。 流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき 流転輪廻とは、同じことの繰り返しのことです。それは苦しいことです。 戦争で捕虜を一番苦しめる方法としてとられたのが穴を掘…

不安や後悔、虚しいのは嫌

すべての人は何を求めて生きているでしょうか?それは幸せのためです。 今なら74億の人すべて幸せの2字を求めて生きています。 具体的にどういうことで分かるでしょうか?幸せとは身近な言葉でいうと安心、満足、充実感です。 逆にいうと不安はいや、イライ…

仏教を聞くときの重要な心構え

前回の求法太子の話で、最後、求法太子が火の中に飛び込もうとした時、身内のものは止めようとしましたが、太子の求道心はますます燃え上がりました。 「わたしは今日まで過去無量劫の間、幾千万の生死をくり返してきた。しかも、そのいずれの時も、欲の為に…

ブッダの過去世の求法太子

ブッダは、かつて求法太子といわれていたことがあります。 ある日、求法太子が一人の修行者に真実の法を求められた時、「真実の妙法を聞くことは、決して容易なことではない。 あなたは一体、どれ程の代償をもって、これを聞こうとせられるのか」と、聞かれ…

夢のように消える儚い人生何をすれば後悔ないか

人生の目的は何でしょうか? 何をやっても、何を手に入れても、虚無感に襲われることはないでしょうか。 そのときは充実しているようでも、喜びは続きません。 邯鄲の夢のように儚い人生です。 光陰矢の如しであっという間に過ぎて行きます。 そしてやがて死…

生きる目的を果たす方法

虚無感に満ちた不安な人生で、どうすれば『君たちはどう生きるか』程度ではない、変わらない幸せなれる本当の生きる目的を果たせるのかというと聴聞の一本道です。 仏教では 仏法は聴聞に極まる、 と教えられています。 仏教を聞いて聞いて聞き抜く、という…

『君たちはどう生きるか』に生きる目的は書いてない

君たちはどう生きるかという本がベストセラーになっていますが、生きる目的 は書かれていません。 しかし親鸞聖人は教えられています。 本当の生きる目的は何か、ということを親鸞聖人のお言葉で書きますと、無碍の一道です。 苦しみの根元を破って、無碍の…

もし人間に生まれていなかったら

もし私たちが人間に生まれていなかったらどうなっていたでしょうか。 仏教では「六道」と教えられています。「六界」とも言います。 人間に生まれるずっと前から、6つの世界を生まれ変わり、死に変わりしてきました。 六道とは、地獄、餓鬼、畜生修羅 、人…

人間に生まれることは難しいのに。

ブッダの有名なお言葉に、人身受け難し今已に受く。(ブッダ)というものがあります。 お経のお言葉ですから、ブッダのお言葉です。この短いお言葉の中に、大事なことが教えられています。 どういうことが教えられているのか。「人身受け難し今已に受く」と…

二河白道のたとえ

二河白道というのは、唐の善導大師の作られた生きる目的達成までの心の道のりをたとえたたとえ話です。 二河というのは、水の河と火の河です。その真ん中に細い白い道が通っているのが白道です。白道は、求道心や聞法心をあらわしています。 尊い人に、本当…

無常の世界に変わらない幸せ

一切の滅びる中に滅びざる真実もとめてただひたすらに この世は諸行無常の世界です。この世の一切、すべてのものは滅びていく、崩れていく、ということです。 これが真理です。 これを歎異抄では、煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界といわれています。 親鸞聖…

無常の世界は火のついた家のようなもの

歎異抄に、この世を「火宅無常の世界」といわれています。 諸行無常の世の中ですから、相対の幸福は続かないということなんです。 お金が入ったら、ずーっとあって欲しいでしょ。続いて欲しいのです。すぐに消えてしまいます。色々はらったら、あっという間…

愚痴の煩悩

煩悩の一つに愚痴という心があります。 怒りがぶつけられない相手にたいしては、愚痴の心が出てきます。 愚痴とは、人を怨んだり、妬んだり、そねんだり、嫉妬したり、憎んだりする心です。 人が幸せそうになっていると喜べない心です。自分より、若い男がベ…

恥じる気持ち

人にみえるところだけ取り繕っていても、人のみていないところで、心でどんなことを思っているか、心をみつめていかねばなりません。 罪を罪と知り、悪を悪と知って、これを恥じる人は、上の人間。罪を罪と知らぬ人は、中の人。罪と知り悪と知って、これを改…

仏教の会合の目的

蓮如上人は、会合の目的をこのようにおしえられています。 毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、在家無智の身をもって、いたずらにくらし、いたずらにあかして、一期はむなしくすぎて、ついに三塗にしずまん身が、一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数…

法話を聞く目的は?

蓮如上人には、法話を聞く目的違いをお叱りになられた御文章があります。それが1帖目12通「年来超勝寺」です。 そもそも、年来超勝寺の門徒において、仏法の次第もってのほか相違せり。 超勝寺は今も福井県にあるお寺です。ここで仏教を聞いている人が大…

仏教講座で聞いた喜び

仏教講座に行ったとき、聴聞で何も知らされることがありませんでした、という後ろ向きになることもあるかもしれませんが、仏教講座に足を運んだということは、それだけ仏縁が深まったということになります。 それが、善知識同行に親しみ近づくと言うことにな…

信じる人も疑う人も幸せに

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、主著『教行信証』の一番最後に、「信順を因と為し、疑謗を縁と為し、 信楽を願力に彰し、妙果を安養に現さん」と記されています。 信じる人もいるだろう、疑う人もいるだろう、それらを因縁として、早く救われてもらいたい、…

付き合っている人に似てくる

「同行・善知識にはよくよく近づくべし。『親近せざるは雑修の失なり』と『礼讃』にあらわせり。悪しき者に近づけば、それには馴れじと思えども、悪事よりよりにあり。ただ仏法者には馴れ近づくべき」由仰せられ候。俗典にいわく、「人の善悪は近づき習うに…

あっという間の人生何をすればいいのか

蓮如上人は、御文章1帖目12通に、「信心の沙汰をせよ」と教えられています。 しかるに当流において毎月の会合の由来は、何のようぞなれば、在家無智の身をもって、いたずらにくらし、いたずらにあかして、一期はむなしくすぎて、ついに三塗にしずまん身が…

一生造悪とは

あるとき禅宗の僧侶の仙崖が谷底で寒さに苦しんでいた乞食に一枚のはおるものを与えたことがありました。 ところが、その乞食はそれをとるなり、すぐ身に纏ってしまいました。何もいいません。 そして仙崖はその乞食が何もいわないので、「おーい、あたたか…

怒るとどうなる?

仏教で瞋恚(しんに)とは怒りの心です。以前、新聞に、馬鹿なカバの話が掲載されました。 カバが子供を宿したとき、飼育係の人が、子供を産みやすいように場所を移したら、カバが怒ってしまった。 そして、死産になってしまった。怒りの心が子供を殺してし…

一日何回心変わりする?

ブッダはすべての人のすがたをこのように教えられています。 心常念悪………心は常に悪を念い口常言悪………口は常に悪を言い身常行悪………身は常に悪を行い曽無一善………かつて一善もなし 心と口と体、常に悪の造り通し、ということです。 心が口や身体を動かしますか…

科学が進歩しても迷信がなくならないわけ

なぜ科学や医学が発達しても迷信邪教がはびこるのでしょうか。 それは、何かにすがって生きざるを得ないからです。 私達は薄い氷の上にいるようなものです。それではあまりにも不安ですから、あそこまで行けば安心できる、そう思っています。 あの大学に入れ…

正しい宗教の選び方

宗教には、科学や経済ができいない役割があります。ですから、宗教は幸せな人生送る上ではぜひ必要なものです。 ところが宗教は、どの宗教も自分たちが正しいといいます。 エホバもそうです。板曼荼羅は永遠だという人もあります。 みんな自分の宗教が正しい…

運命の因果関係

仏教で明らかにしている因果関係というのは、運命の因果関係です。 幸せな運命の因果関係が知りたい。これが私たちの根本の問題です。 運命というのは、仏教の言葉でありませんがよく知られているので、仮に使います。 運命というのはわからないといわれるが…

私たちを苦しめる根本原因とその結果

昨日の、続かない幸せを求めて苦しんでいる原因について、親鸞聖人は、このように教えられています。 難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。(教行信証) 難度海とは、わたりにくい海ということで、苦しみの波が次々とや…