仏教研究室

仏教を研究しています。

仏教

阿弥陀如来はどんな極悪人をも救い切ることができる

願力無窮にましませば罪業深重もおもからず仏智無辺にましませば散乱放逸もすてられず (正像末和讃) 最初の半分は、無量光について。 後の半分は、無辺光について。 阿弥陀仏のお徳の二つについてです。 阿弥陀仏の本願力には限りがないから、どんな極悪人…

阿弥陀如来に救い摂られても、煩悩はなくならない

能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 (親鸞聖人『正信偈』) 信心決定した後も、煩悩は無くならないと言われている。「能」とは他力のことです。 阿弥陀仏のお力のことです。 能が全部他力を表すわけではないですが、ここではそうです。 阿弥陀仏のお力によって…

仏教の五逆罪の恐ろしさ

仏教に教えられる五逆罪は、五つの恐ろしい罪。十悪よりも重い。 この五逆罪というのは、無間業と言われる。 一つ造るだけで無間地獄に堕ちる業。 無間地獄とは大変苦しい世界。 そういう世界に堕ちる業。 中でも一番目、二番目。親を殺す。 これは大変恐ろ…

藤原智美の人を殺してはいけない理由

昔の 文藝春秋に書いていた。 ○藤原智美(作家) (略) 奇妙なことに、だれに訊かれたわけでもないのに私たちは、 人を殺してはいけない「理由」を探しているのだ。 それは子どもたちのもつ理解をこえた「命への感覚」に気づき、 私たち自身がひどく不安に…

子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたらアウト

文芸春秋に出ていた。 『「なぜ人を殺してはいけないのか」と子供に聞かれたら』 ノンフィクション作家の久田恵の答え 「問われてからでは遅すぎる」 子どもはさまざまな問いを発して育っていく。 (略) 12歳の時に「いずれ地球は消滅する。生きるのはム…

怒りで仏教が聞けない人

「私は、先輩から、友達から、厳しいことを言われると、怒りが噴き出し、 仏教が真剣に聞けません。自分が悪いのに、悪いと思えません。 どうすればいいでしょうか」という人があります。 怒りは地獄に堕ちる業因、欲は餓鬼道、愚痴は畜生に堕ちる種まきです…

どうしたら真剣に聴聞できるか

「後生の一大事を聞かせていただいても、なかなか真剣になれない。自分のこととは思えない。どう求めたらもっと真剣になれるのでしょうか」 つまり、どうしたら信心決定できるかということでしょ。 それは宿善まかせと言われます。 柿は日に照らされ熟してい…

にせの信心と真実の信心の違い7つ

にせの信心も、真実の信心も、見た目は同じように見える。 しかし、にせの信心には幾つか特徴がある。 以下の7つの1つでも該当すれば危険。 1儀式によって信心を貰う キリスト教の洗礼のようなもの 真実の信心は如来のひとりばたらき。 儀式などを人間が…

仏教を求め聞くときのここだなあの心がけ

ここだなあ 超大型台風が、関西を直撃したときのこと。大阪のある学校で、先生始め大勢の生徒たちが、狂風に揉まれ、不気味に軋む校舎の中で、どうしたらよいものかと、生きた心地もなく途方にくれていた。 一人の教師がその時、敢然と立って叫んだ。「みん…

仏法を尊く思う心が 強ければ強いほど早く救われる

仏法を尊く思う心が強ければ強いほど早く救われる。 大無量寿経には恭敬三宝とある。 三宝とは、仏宝、法宝、僧宝。 宝と思えないものを求めている人もあれば、 宝を粗末にしている人もある。 宝だと分かれば大事にする。 蓮如上人のお言葉でいうと、 宝の山…

無碍の一道は罪悪も業報も感ずることあたわず

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし、罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなき故に無碍の一道なり、と云々。(歎異抄7章) 「罪悪も業報も感ずることあたわず」 と…

天神地祇も敬伏し

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし、罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなき故に無碍の一道なり、と云々。 (歎異抄) 無碍の一道とは、一切がさわりとならなくな…

浜崎あゆみの「シーズンズ」の歌詞の一部

浜崎あゆみの「シーズンズ」の歌詞 「繰り返してく毎日がつまらないと感じてた 不自然な時代のせいだと先送りしてあきらめていた」 毎日、同じ通勤の道を行ったり来たり。それを繰り返しているだけじゃ、どこかむなしい、何か足りない。 今のままの自分じゃ…

どうしたら人生の目的果たせるか

シドニーオリンピックでは、Qちゃんこと、高橋尚子選手が活躍 有森選手が、自分で自分を誉めたいと思います。すごく苦しい、さも大変そうだった。怪物だったのか。 黒いサングラスを投げ捨てて、フランスのシモンっていうのをぶっちぎりの優勝。 最初に描い…

罪悪も業報を感ずることあたわず

「罪悪も業報を感ずることあたわず」感ずることあたわずとはどういうことか? 苦しみが喜びに転ずるということ。どんな悪をしてもどんな悪果が返ってきても何も感じないとは よほどの恥知らずとなったり大変です。 そして転悪成善、罪障功徳の体となる。 「…

生きる意味

生きる意味について 芥川龍之介は小説の中に 「生きるために生きる為の人生の悲しさがある」 芥川龍之介とは、大正時代の文学者。日本の純文学最高峰の栄誉、芥川賞。小学生もわからないながらも知っている「蜘蛛の糸」「羅生門」。青酸カリで服毒自殺。 例…

初心わするべからず

「初心わするべからず」誰が言った言葉か。 能楽の完成者観世流の第二世 世阿弥もときよは常に弟子達に戒めている。 仏教の言葉ではないですが。 芸道を学ぶに一番大切なのは初入門の心、 これを一生忘れてはならないと言うのである。 厳しい芸の道に挫折す…

間断なく仏法を聞く

間断なく仏法を聞く、 この間断無き聴聞こそ信楽開発の天地まで我々を進ませるのである。 信楽開発とは信心獲得のことです。信心決定とも言います。 何事によらず根気よく続けることは物事を成就するには最も大切である。 続ける、何か物事をつづける、免許…

真宗の繁昌とは

一宗の繁昌と申すは、人の多く集まり威の大なる事にてはなく候、 一人なりとも人の信を取るが、一宗の繁昌に候。 然れば、「専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」と遊ばされおかれ候。 (御一代記聞書122) 繁昌というのは、普通、 講演会で、チケット即日完…

後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば

仏教ではどんな一大事があると教えられているか? 後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし。(帖外御文) ながき世まで地獄におつる一大事がある、どの…

煩悩具足

難思の弘誓は難度海を度する大船 (親鸞聖人『教行信証』) 「難度海」が分からないと、 「難度海を度する大船」も分からない。 難度海とは、苦しみの波が次々とやってくる人生のこと。 なぜ難度海になってしまうか。 煩悩具足の凡夫が火宅無常の世界に住ん…

善知識・同行には親しみ近づけ

親鸞聖人がこう仰有っている。 「悪をこのまんには、慎んで遠ざかれ、近づくべからず」とこそ説かれて候え。「善知識・同行には親しみ近づけ」とこそ説きおかれて候え」 末灯鈔のお言葉。 末灯鈔は親鸞聖人のお手紙のようなもの。 親鸞聖人の御法語、ならび…

マラソンは人生の縮図

日本人は、マラソン好き。正月早々から、群馬県では、実業団駅伝、箱根の山では、箱根駅伝(大学対抗) どうして、マラソンという競技がたくさんの人に受けるのか、その理由は? よく 「マラソンとは人生の縮図である」とマラソンは人生にたとえられる。 マ…

本願成就文が依憑

かの心行を獲得せんこと、念仏往生の願成就の『信心歓喜乃至一念』等の文をもって依憑とす、このほか未だ聞かず。(改邪鈔) 覚如上人の御言葉覚如上人ってどんなお方でしたっけ? 親鸞聖人の教えを正しく伝えられた方。 親鸞聖人の曾孫さんに当たる方。 親…

現在世で正定聚不退転になれる現生不退

真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。 念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。 (『教行信証信巻』) ここに書かれてあることは実に驚くべきことなんですね。…

「唯信独達」とはどんなことか

親鸞聖人の教えは唯信独達で仏教界を震撼させている。震撼とは、激しいショックを受けてびっくり仰天するたまげる動揺するつまり仏教界を動揺させているのが親鸞聖人の教えということ。 唯信独達とは、信ずる一つで51段を高飛びできるということ。 悟った…

一人居て喜ぶ信

蓮如上人の御一代記聞書154 同行の前にては喜ぶなり。これ名聞なり。信の上は一人居て喜ぶ法なり。 「信の上は一人居て喜ぶ法なり」とは? 「名聞」とは名誉欲 誰かと比較相対して喜ぶ。 逆にいうと誰かと比べなければ喜べない。 「朝日新聞・各国の首脳…

知恩・感恩・報恩

仏教では恩を非常に重視する。 「知恩、感恩、報恩」 「知恩」恩を知る。 自分が今までどんな方から恩を受けてきたか、それを知る。 大学に入ると、ついついオレは自分で勉強して、ここまで来たんだ、と思いがち。 決してそうではない。下宿に暮らし始めると…

二河白道のたとえ

善導大師の二河白道のたとえで、 弥陀の呼び声は すべて水火の難にだすることをおそれざれ、 と聞こえた。 水火の難というのは、 水とは欲の心火とは怒り。 順境のときは欲の心が吹き上がって聞けなくなる、 調子がいいときはついつい欲にひきづられる。 逆…

善知識に対する気持ち

まったく仏教を説く人がいない。 寺はたくさんあって、袈裟かけた坊主はいるが 仏教を説く人がいない。 真実を説ききる人がいない。 お釈迦さまは般舟三昧経に「善知識おられたら千里二千里はおろか海山こえてもはせさんじよ、 仏の如くうやまえ、身肉手足を…

善知識にあうことの難しさ

宿善開発まで求めることが大事。 いかに宿善があっても聞かせて下さる善知識にあえなかったら聞くことはできない。 おあいできてこそ聞法のご縁がいただけるので 五重の義の2番目は善知識。 善導大師の二河白道のたとえがあるが、東岸、此岸、幸せもとめて…

宿善の薄い人と厚い人

「宿善うすいなあ、助からないのではないか?」こう思って助からなかったら大変と、必死に求める人は宿善の厚い人。 「宿善うすいなあ。やめちゃおう」となる人は本当に宿善薄い人。 あるとき仏法聞くのやめたいというひとがきたとき 「仏法聞くのやめたら死…

無常観

無常も同じ。本当は無常なんてこれっぽっちもおもえない。 自分が死ぬなんて死ぬまで絶対おもえない。 自分を死なないとおもっているということは白いチョークを赤いチョークと思っているほどのこと 白いチョークを赤いチョークと思っているということは よ…

強そうで弱いものが歯

ここで親鸞聖人は「たまたま行信をえばとおく宿縁をよろこべ」とおっしゃっている。 行信というのは他力の信心です。この信心をえたならばとおく宿縁をよろこばずにはおれない。永い流転を振り返って、どれほど長い間、親鸞は阿弥陀如来からはぐくまれ照育さ…