仏教研究室

仏教を研究しています。

他力

阿弥陀仏の救いの対象

お釈迦さまが一生涯かかって教えられたのは、どんなことか。お釈迦さまが一生涯仏教を説かれたのは、阿弥陀如来の本願一つです。お釈迦さまの先生である阿弥陀如来の御心ひとつをといていかれた。阿弥陀如来の本願というのはお釈迦さまの先生が 約束をしてお…

苦悩の根元を教えられた親鸞聖人のお言葉

苦悩の根元を教えられた親鸞聖人のお言葉 真の知識にあうことは 難きが中になお難し 流転輪廻の際なきは 疑情のさわりにしくぞなき 苦悩の根元は無明の闇と教えて下さる方が真の知識、しかし、苦悩の根元は無明の闇だと教えて下さる方がないから、真の知識に…

どうして浄土真宗では救われたことが分からないと言いだしたのか

いつとはなしに救われるということは、死ぬまではっきりしないということですから、晴れたも曇ったもわからない、浮世の空にかかる雲なしという日本晴れの大安心大満足の身にはなれないということになってしまいます。死ぬまで助からないということになりま…

心の闇が破れた

苦悩の根元が一念で破れる。 そして、この世でどう生きるか、生きる手段、家をたてても、オリンピックで優勝しても、どんなものを得ても、心が本当に奥底から喜びが満ち溢れる、そんな体験はなかった。 そういう私たちに、本心へと光が差し込むのです。明る…

苦しみを離れた世界とは

無明の闇明かりとは、生き甲斐、希望、夢、心のささえ、あて力にしているもの。心の周りに明かりを灯している。ところが、死に直面すると、一切の明かりが消え、真っ暗になる。一歩後生と踏み出すと、ハッキリしない。暗い。日頃は忘れている。秀吉は、辞世…

阿弥陀仏の本願に方便がある?

「願海につきて真あり仮あり」 阿弥陀仏の本願に真実と方便の願があるということを断言なされた親鸞聖人のお言葉です。 これはすぐ後の「真仮を知らざるによりて如来広大の恩徳を迷失す」と対応しています。 「真」とは真実、「仮」とは方便。 18願が真実…

心の闇をなくす力

難思の弘誓は難度海を度する大船無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり これは教行信証の冒頭の言葉。まず、「難思の弘誓」私たちはお金がないから苦しんでいるのでもなければ、仕事をクビになって苦しんでいるのでもない。 苦しみの根源は無明の闇。無明の…

無碍の一道とは?

ミッドウェーの海戦中心になったのは空母。アメリカも日本も総力戦。いろんな空母がつぎ込まれていた。そしてそれぞれの空母には戦闘機がつみこまれていた。当時の日本の海軍は優秀だった。ゼロ戦。非常に優れた戦闘機。パイロット。必死になって戦って見事…

自力が廃るとどうなるか

自力の心がなくなるとどうなるのでしょうか。 自力の心のことを無明の闇といわれます。これがなくなったどうかが問題であると、親鸞聖人は教えられています。愚禿鈔です。 信受本願 │ 本願を信受するは前念命終 │ 前念命終なり即得往生 │ 即得往生は後念即生…

現生不退とは

「現生不退」とは現在世で正定聚不退転になれるということで、この世で完全な救いにあずかるということ。 真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の…

輪廻転生から離れる道

高僧和讃に 昿劫多生のあいだにも出離の強縁しらざりき本師源空いまさずはこのたびむなしくすぎなまし 高僧和讃とはどんな和讃か、七高僧の書かれたもの、これは法然上人について書かれたお言葉。源空上人とは法然上人のこと。法然上人から教えていただくこ…

仏教の結論を強調する人ほど激しい攻撃を受ける

五濁の時機いたいては道俗ともにあらそいて念仏信ずる人をみて疑謗破滅さかりなり(正像末和讚) 「一向専念無量寿仏」を強調する人ほど、激しい疑謗破滅がやってくる、と教えられた親鸞聖人の「ご和讚」 五濁とはどんなことですか?阿弥陀経にあります。劫…

阿弥陀仏に救われたらどうなったか

親鸞聖人が教行信証信巻の中のお言葉。 真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。(教行信証) 阿弥陀仏の願いはどんな願…

自力と他力の違い

浄土真宗の布教師で香樹院師という人がいた。蓮如上人の生まれ変わりともいわれる素晴らしい人。聴聞ということについて有名な4つの心構えを教えられている。 骨折って聞け、 衣食忘れて聞け、 間断なく聞け、 聞けぬときは思い出せ。 香樹院師といいますと…

蓮如上人の三願転入

この雑行雑修の共通悪は共に自力の心。何とかすれば何とかなれると思っている心。それで雑行雑修自力の心を振り捨ててと言われている。 この短い言葉に三願転入のみ教えがおさまっている。 蓮如上人は親鸞聖人の三願転入の心を19願を雑行と言われ、20願…

雑行についての疑問

雑行については非常に大切なことです。 金儲けや病気治しのため。 これも雑行にはいるのでしょうか。 後生の一大事助かろうとする行為は全て雑行に入ります。 自力の心ですね。 自力の心とは身口意の三業をよくして後生の一大事助かろうとする心を言いますか…

阿弥陀仏の立撮即行のご苦労

阿弥陀仏は十劫以来おたちづくめ。それで阿弥陀仏のお姿を立撮即行。阿弥陀仏はずーと十劫の昔からおたちづくめで、何とか救いとろうとずーとおたちづくめ。与えることが目的、受けとらせることが目的。名号を受け取るというのは、船に乗るということ。 ●大…

正法・像法・末法の三時

現在は末法といわれます。 末法とは何でしょうか。 仏教では、正法、像法、末法、法滅の時代区分があります。 正法の時機・・・釈尊がお亡くなりになられてから500年像法の時機・・・正法の時機終わってから1000年末法の時機・・・像法の時機終わってから100…

平生業成、不体失往生、現生不退

平生業成、不体失往生、現生不退。 平生業成について、 昔の能登半島は、仏教聞かなかったら、村八分にされるところ。 そこに三国一の同行が来た。 そしてその人に対して、仏教の先生が説法に立たれた時、 休憩になると、控え室に怒鳴り込んできた。 何じゃ…

親鸞聖人の田植え歌

親鸞聖人が田植え歌を、最初は田植えのはかどる歌といわれた。 みんな全然説法を聞きに来ないから。あの人達にとっては後生とかどうでもよくて田植えのことで頭がいっぱい。私達も仕事がある、近所づきあいがある。 仏法どころじゃない。 親鸞聖人は本当は田…

親鸞聖人が救われたプロセス

阿弥陀仏は48の願を建てられた。 本心は18願。 18願の世界に引っ張り出すために立てられたのが 19願と20願。 この19願、20願も、非常にみ心が深い。私たちが19願、20願を呼んでもわからない。 さとりは一段違えば人間と虫けらほど 境涯が…

無上の信心を獲得できるのはなぜ?

無上の信心を獲得できるのは、阿弥陀仏と釈尊のおかげである。 釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまいけり(高僧和讃) 「無上の信心」とは=他力の信心=人生の目的阿弥陀仏とお釈迦様のご苦労によって信心獲得させ…

仏教ではなぜ教えの通りにするのか

我も知らぬことなり、何事も何事も知らぬことをも 開山のめされ候ように御沙汰候」と仰せられ候。 (御一代記聞書159) 御一代記聞書は蓮如上人の言行録 ある人が蓮如上人にたずねた。 「これはどういうことでしょうか」蓮如上人「わしもわからん」「しか…

正しい信心をあらわす蓮華の五徳の花果同時の徳

花果同時の徳とは、花が咲いたときに実がなる、それだけでは不十分。 特徴の一つ目は、一度に音を立てて咲く。 朝顔はゆっくり咲く。三分、五分と咲いていく。 蓮華は咲いてないときは咲いていない。 開くときにポーンと音たてて咲く。 もう一つは、花が咲く…

正信偈 龍樹菩薩の所。 「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」弥陀仏の本願を憶念すれば。憶念というのは、どちらもおもうということだが、 憶は時々おもう、念は明記不忘といって、常におもう。 阿弥陀仏の本願がハッキリ刻み込…

自力の念仏と他力の念仏の違い

蓮如上人は、御文章に他力の念仏を勧められている。 末代無知の在家止住も男女ならんともがらは、心を一つにして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、更に余の方へ心をふらず、一心一向に「仏たすけたまえ」と申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、必ず…

南無阿弥陀仏におさまっているもの

昔、戦争でたくさんの若者が戦場に散っていった。 連合艦隊という映画で、零戦に乗った若者が、まだなれない操縦で、 敵艦にぶつかっていく。 その時「お母さん!」と叫んでいた。 ああ言うときに、誰もお父さんと言わないんだね(笑) 女の子でもそうだろうね…

一向専念無量寿仏

法然上人が流刑にあわれるとき、お弟子の西阿が破門されているんですが、そこでの法然上人の大変厳しいお言葉の中で重要なのが「一向専念無量寿仏」です。 弥陀の本願まことであった、これこそ永遠に変わらない幸せを与えてくれるものであった、と知らされる…

法華経を中断されたお釈迦さま

お釈迦様が、今日は、とても大切な話をするぞ。 仏教を聞いた事にならんそうじゃぞ。大勢の人の前で、今日は大事な事を話すから、心して聞くがよい。沢山の人がいて、お釈迦様を大切にしていて、一心に聞いている。 それをやめて、その先にいたのが、韋提希…

阿弥陀仏の本願の相手

本願の素晴らしさを論じるときに約束の相手がどういうものか。 非常に重要。私達も、その人のスケールを考えるときに、誰を相手に生きているか。 町会議員ならば町の人が相手。 県議員ならば県の人が相手。 国会議員ならば国民が相手。 それがまた一国の首相…