仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

信心

正信偈

正信偈についてお話をしたいと思います。 浄土真宗の親鸞 聖人の主著は教行信証です。他の御著書は親鸞聖人のみ教えの一部しかありませんが、教行信証には親鸞聖人のみ教えのすべてがあります。浄土真宗の御本典です。 その教行信証をぎゅっとしぼったエキス…

人間五十年

蓮如上人は 御文章2帖目12通「人間五十年・四王天」に 今日今時よりして、不法懈怠にあらん人々はいよいよ信心を決定して、真実報土の往生を遂げんと思わん人こそ、まことにその身の徳ともなるべし。 とおっしゃっています。 その人に近付いても全く仏法…

現代人には宗教や信心などいらないの?

信心というのは、心で何かを信じることです。信じるということは、心あてにしたり、の支えにしたりすることです。 私たちは何かをあてにして支えにして生きています。それは宗教だけではありません。 いつの時代もどこの人も何かを信じています。 そして信じ…

正信偈とは?

親鸞 聖人の正信偈には、まさに親鸞聖人が教えて下されている仏法の真髄を明らかにされています。仏教の真髄を聞かせていただくことが大切です。 仏教講座に足を運んで直接聞かせていただくことが大切です。 正信とはどういうことでしょうか。正しい信心とい…

浄土真宗で知らされた2つのこと

あら不思議心も六字身も六字浮世の空にかかる雲なし これは信心決定した喜びの歌です。あなたも信心決定するとこういう心がハッキリ分かります。信心決定すると世界観、人生観がガラッと大変わりする。親鸞 聖人ならああ……といわれています。 絶対助からない…

吉崎の嫁おどし

約500年前、浄土真宗の中興・蓮如上人の時代の、吉崎の嫁おどしの話は、あなたのお爺さんお婆さんならほとんどの人が知っている話です。 蓮如上人が福井県の吉崎におられた頃、その蓮如上人の教えを熱心に聞いていた奥さんがいました。ところが姑が大の仏…

救われたつもりの人の特徴

獲信したと思っている周囲の者も、こぞって「めでたい。めでたい」「よかった。よかった」と言うので、本人も獲信したつもりになる。 そして本当に弥陀の本願に救われた人なら、より聞法せずにおれなくなるものだが、彼らは助かった後は、もう聞く必要はない…

恐ろしい信心の人たちの特徴

世の中には、仏教といいながらそうではない信心の人たちがたくさんいます。 救われたつもりになって地獄行きになってしまいます。 そんな恐ろしい信心に迷わないために、その特徴を知っておく必要があります。 まず、そんな人たちは 「信心を獲るのにコツが…

浄土真宗の現世利益

浄土真宗は、死んだらお助けだと思われていますが、金剛の真心を獲ると、とってもたくさんの幸せを獲ることができると教えられています。 現在生きているときに十種の幸せを獲ると。 金剛の真心を獲得するものは横に五趣八難の道を超え、必ず現生に十種の益…

浄土真宗で教えない親鸞聖人の論争

現在の東西本願寺はじめ浄土真宗十派では、三大諍論教えない。教えたら自分の首をしめる。坊主と言っても無知なんです。 たとえば親鸞 聖人と善慧房証空との体失不体失往生 の諍論。この体失不体失往生とはどういうことか。 往生とは、救いのこと。 親鸞聖人…

疑情と煩悩の違い

正しい信心を獲たら心がどう変わるか、 ということをあなたはっきり知っておいて頂かなくてはならない。 なくなるのは疑情です。欲や怒りや愚痴の煩悩はなくなりません。 疑情がなくなって明るい心になったことを、本願文ではどう仰っていますか?信楽の「信…

救われたらハッキリする。

世の中には、救われたかどうかハッキリしない人ばかり。 いつとはなしに救われたとか。 しかし、それが救われたといえるのか。 肩の糸くずを取る。「分かったかな」「分かりません」糸くずが取られたくらいでは分からない。 しかし、担いでいた椅子を取る。…

他力の信心と自力の信心の違い

「弥陀の本願まことにおわしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおわしまさば、善導の御釈虚言したもうべからず。善導の恩釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞 が申す旨、またもってむなしかるべからず候…

南無阿弥陀仏の2つの働き

南無阿弥陀仏は智慧と慈悲が封じ込められている。智慧は無量光、慈悲は無量寿。智慧のはたらきによって生死に止まらない。苦しみ悩みに立ち止まらない、断ち切って下される。娑婆に止まらず必ず極楽浄土にいける。一日たてば一日、一年たてば一年と確実に極…

信心から出てくるもの

あれば鳴るなければ鳴らぬ鈴の玉胸に六字のあればこそ鳴る この鈴の玉、これを信心に喩えています。鐘が鳴る。これ念仏のこと。玉が有ればなります。なければなりません。六字という鈴の玉が有れば念仏が出てくる。そういうことなんですね。鈴でも、中に玉が…

偽物の花

香りはと 問われて困る 造り花 親鸞 聖人の教えの一念の信心は?ときかれて困る。自力他力の水際は?と聞かれて困る。それは造り花だから。 最近の造花は、凄い。 騙されて近づいて触って、なあんだ!と驚く。 本物だと、いくら自画自賛しても、蝶や蜂は見抜…

あなたが必ず苦しむこの世の仕組み

人は何かを信じなければ生きていけない。 信じるということは生きるということ。 人はなにかを当て力にして頼りにして生きている。パートが辛いけどあの子が大学を出るまで頑張ろう、という親は子供を当て力にして生きている。妻は夫を、夫は妻を頼りに生き…

親鸞聖人の教えの大変重要なところ

親鸞 聖人の教えの中で大変重要なところであります。親鸞聖人の教えといいましても、「さらに親鸞珍しき法をも弘めず如来の教法を我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」ということで仏教以外にありません。 その仏教というのは、「如来所以興出世 唯説弥…

もし絶対の幸福にできなければ命を捨てる

若不生者不取正覚 もし生まれさせることができなければ、 絶対の幸福にできなければ命を捨てようと命がけの約束をされている。この世も未来もどんな苦悩を持つ者も平等に絶対の幸福を与えよう、 一味平等の幸せにしてみせる、差別のない世界。とてつもない本…

現生不退とは

「現生不退」とは現在世で正定聚不退転になれるということで、この世で完全な救いにあずかるということ。 真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の…

領解文とは

領解文というのは蓮如上人がお書き下されたのものです。仏教の全てがおさまっています。領解とは体験。体験を文章化、告白されたのが領解文 体験と言ってもいろんな体験があるがこの体験は時間と空間を超越した体験。後生の一大事の解決をした体験。体験は西…

親鸞聖人の田植え歌

親鸞 聖人が田植え歌を、最初は田植えのはかどる歌といわれた。 みんな全然説法を聞きに来ないから。あの人達にとっては後生とかどうでもよくて田植えのことで頭がいっぱい。私達も仕事がある、近所づきあいがある。 仏法どころじゃない。 親鸞聖人は本当は…

親鸞聖人が救われたプロセス

阿弥陀如来 は48の願を建てられた。 本心は18願。 18願の世界に引っ張り出すために立てられたのが 19願と20願。 この19願、20願も、非常にみ心が深い。私たちが19願、20願を呼んでもわからない。 さとりは一段違えば人間と虫けらほど 境涯…

無上の信心を獲得できるのはなぜ?

無上の信心を獲得できるのは、阿弥陀仏と釈尊のおかげである。 釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまいけり(高僧和讃) 「無上の信心」とは=他力の信心=人生の目的阿弥陀仏とお釈迦様のご苦労によって信心獲得させ…

如来二種の回向とはどういうことか

他力の信をえんひとは 仏恩報ぜんためにとて 如来二種の廻向を 十方にひとしくひろむべし(親鸞 聖人『正像末和讃』) これは、「最大の仏恩報謝は真実信心を伝えることだ」 と教えられている。 如来二種の回向をひろめることと 真実信心を伝えるということ…

正しい信心をあらわす蓮華の五徳の花果同時の徳

花果同時の徳とは、花が咲いたときに実がなる、それだけでは不十分。 特徴の一つ目は、一度に音を立てて咲く。 朝顔はゆっくり咲く。三分、五分と咲いていく。 蓮華は咲いてないときは咲いていない。 開くときにポーンと音たてて咲く。 もう一つは、花が咲く…

信心とは

信心といいますと、諺にも、「鰯の頭も信心から」と言います。 鰯とは、非常に安い、昔は人間も食べなかったものです。しかし、尊いと思って信じれば、それも信心です。 何でも信じていれば、信心です。宗教を信じていない、そういう人が多くいます。無宗教…

なぜ絶対の幸福になれるのか

南無阿弥陀仏を頂くから絶対の幸福になる親鸞 聖人言われている。 我が弥陀は名を以て物を摂したまう。是を以て耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳識心に攬入し、永く仏種と為りて、頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。 阿弥陀如来 は御名をもってもの…

南無阿弥陀仏の功徳は、何億年かかっても説き尽くすことはできない

若し広説せば百千万劫にも窮め尽すこと能わじ。(大無量寿経) どなたのお言葉か『釈尊のお言葉』 どう言う意味か。『阿弥陀如来の本願を説くことは、百千万劫かかっても説ききることはできない』名号の大功徳です。名号の大功徳は。勿論、名号は阿弥陀如来 …

信心獲得とは

信心獲得すというは、第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるというは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。( 御文章) この願を心得るというは、南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり。 第十八の願を心得ると言うことは南無阿弥陀仏のすがたを心…