仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

聞法

なるべく一人にならない

仏教を求める心がけとして「なるべく一人にならない」というものがあります。 浄土真宗を日本全国に広められた蓮如上人は、「同行・善知識にはよくよく近づくべし」(御一代記聞書150)と教えられています。 連れが大事、教えが大事ということです。 一人に…

聞法の心がけ

後生の一大事とは、死んだらどうなるかの一大事です。すべての人は必ず死ななければなりません。死ねばどんなにお金があっても、地位や名誉があっても何の関係もありません。後生の一大事の問題は、この世のものとは比較になりません。 仏教の目的は、その生…

二河白道のたとえ

二河白道というのは、唐の善導大師の作られた生きる目的達成までの心の道のりをたとえたたとえ話です。 二河というのは、水の河と火の河です。その真ん中に細い白い道が通っているのが白道です。白道は、求道心や聞法心をあらわしています。 尊い人に、本当…

仏教の会合の目的

蓮如上人は、会合の目的をこのようにおしえられています。 毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、在家無智の身をもって、いたずらにくらし、いたずらにあかして、一期はむなしくすぎて、ついに三塗にしずまん身が、一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数…

法話を聞く目的は?

蓮如上人には、法話を聞く目的違いをお叱りになられた御文章があります。それが1帖目12通「年来超勝寺」です。 そもそも、年来超勝寺の門徒において、仏法の次第もってのほか相違せり。 超勝寺は今も福井県にあるお寺です。ここで仏教を聞いている人が大…

付き合っている人に似てくる

「同行・善知識にはよくよく近づくべし。『親近せざるは雑修の失なり』と『礼讃』にあらわせり。悪しき者に近づけば、それには馴れじと思えども、悪事よりよりにあり。ただ仏法者には馴れ近づくべき」由仰せられ候。俗典にいわく、「人の善悪は近づき習うに…

絶対の幸福にはどのようになれるのか

親鸞聖人が阿弥陀仏に救い摂られるまでの唯一の体験談が三願転入です。 このお言葉です。 ここを以て、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く雙樹林下の往生を離れ、善本・徳本の真門に廻入して、偏に難…

無碍の一道へ向かう団結

毛利元就が言った話で有名ですが、一本の矢ならおれるが三本ならおれません。団結の大切さを示したそうです。 団結することによって一人一人の力でやっていたよりも2倍3倍の力を発揮することができます。 私たちがより求道に団結します。自他共に大切なこ…

ブッダの団結の精神

団結を破る者を仏教では、五逆の者と教えられています。五逆罪は無間地獄に堕ちる無間業の大罪です。 ブッダは、一糸乱れない団結で、仏教を伝えなければならないと教えられているのです。 でも、いくら団結しようといっても、人の心は人それぞれなので、そ…

順境と逆境のときの求め方

順境の時は欲の心、逆境の時は怒りの心で聞けないと言われます。 順境の時は逆境が来たら真剣になれると思いがちですが、そうではありません。 又逆境の時、この問題が解決できてから求めますという人がありますが、そんな風には行かないときばかりです。 今…

仏教の出家と修行の目的

親鸞聖人が9歳で出家されたとき、このような歌を詠まれました。 明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 親鸞聖人が出家された目的は、名誉の為でもなければ地位の為でもありません。 今死ぬと思うと出てくる不安な心、暗い心を明るくなりたい…

馴れほどこわいものはない

仏教を聞く心構えについて、蓮如上人は、このようにいわれています。 ------------------------------------------------------------蓮如上人、「おどろかす甲斐こそなけれ村雀、耳なれぬれば鳴子にぞのる」、この歌を御引きありて、おりおり仰せられ候、「…

南無阿弥陀仏は単なる文字?

南無阿弥陀仏という真実の宝は、阿弥陀如来が私たちに受け取らせるために作られました。 ところが、南無阿弥陀仏は単なる文字じゃないかという人がいます。南無阿弥陀仏は、垂名示形の南無阿弥陀仏です。 名をたれて形を示された阿弥陀如来の御心の顕現です…

僧侶と門徒の理想的な関係

ペプシとコカ・コーラの戦いがありました。マイケルジャクソンとマイケルジョーダンの宣伝合戦。マイケル戦争です。 お互いに悪口を言い合い罪悪を造るだけです。 実に「僧侶」と「門徒」の関係は、理想的な関係です。僧侶が門徒に仏法の話をする。これを法…

最悪の事態に後悔

阿弥陀仏は、なぜ一瞬で救うとお約束されているのでしょうか? それは、阿弥陀仏は最悪の事態の人に照準をあわせて、救うという本願を立てられた。ということです。 だから私たちも常に最悪の事態を考えておく心がけが大事です。今日のことしか考えていない…

仏教をどれくらい理解したかが分かる方法

私たちが仏教講座に行って仏教の教えを聞かせて頂きますと、『いやなんて素晴らしい教えなんだろうか、今まで聞いたこともなかった』という喜びや感動が起きてきます。 すると、その素晴らしい仏教の教えを自分だけ聞いているのでは余りにも勿体ない。 どう…

真仮廃立

三重廃立の第三の真仮廃立とは、浄土門の仏教といって念仏称える仏教の中に、真実の浄土門の仏教と仮の浄土門の仏教とがあると教えられたものです。 阿弥陀仏一仏に向かっている人の中に、阿弥陀仏が本願を建てられた正しい御心を知らない人がいるということ…

浄土真宗における親鸞会の特徴

浄土真宗の親鸞聖人のお言葉に、無明長夜の灯炬というお言葉があります。 無明長夜とは私達の迷いです。全人類は心の闇に覆われています。私たちの迷いの歴史は果てしない過去から、始めのない始めから六道輪廻してきました。それを長夜にたとえて、その心の…

仏教講座に行くと?

仏教講座に仏教を聞きに行くとどうなるのでしょうか。 こういう歌があります。 知るとのみ思いながらに何よりも知られぬものは己なりけり 私達は自分のことは自分が一番良く知っていると思いがちですが、最も分からないのが自分自身です。 知るとのみ、自分…

吉崎の嫁おどし

約500年前、浄土真宗の中興・蓮如上人の時代の、吉崎の嫁おどしの話は、あなたのお爺さんお婆さんならほとんどの人が知っている話です。 蓮如上人が福井県の吉崎におられた頃、その蓮如上人の教えを熱心に聞いていた奥さんがいました。ところが姑が大の仏…

仏教講座で生きる意味を聞くときの仲間

親鸞聖人の教えは、本当の生きる意味一つでした。 誰も明らかにすることのできない生きる目的を、浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人や蓮如上人のような善知識のみが明らかにされる。 善知識とは、正しい仏教の先生。その善知識方の願いは、あなた早くこの船…

阿弥陀仏の19願の「至心発願」の意味

阿弥陀如来の19願に「至心発願」というお言葉が誓われています。 至心発願の「至心」とは「まことのこころ」ということです。誰の心でしょうか。 私達にはまことのこころはあるんでしょうか。ないもの出せ!と言われているんですが、これは「まことのここ…

真実へ導く方便

「願海につきて、真あり仮あり」(教行信証) 「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」(教行信証) 「信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。真心を開闡することは大聖矜哀の善巧より顕彰せり」(教行信証) 「蓮如上人仰せられ候、…

仏教講座で説かれる説法とは

本物の仏教講座ではどんなことが説かれているか。 正しい仏教の説法は、虎の説法という。ある人がいくら虎を書いていても虎がかけないから、猫を描けということで猫はかけるようになったが、一生虎をかけないようになった。 これは何をたとえられているかと…

仏教講座に行くのは誰の力?

よくこの世の人生のことでうようよするとかうじうじするとかいう人いるでしょ。 自殺しようとする人とか、怨念こもっているのにわら人形に刺すくぎを探している人とか、目の前にくよくよするとかいう人があると、人間ってそれなりの解決方法を一生懸命やる。…

仏教を聞くとき早く救われる心がけ

仏法は聴聞に極まる。 では聞く聞くと言っても、授業を聞いているように聞けばよいか、ラジオを聞いているように聞いていればよいか、そうではない。 正座をして心を正して聞かなければならない。これを譬えられた話があります。 あるとき舎利佛が座禅の修行…

山吹の花は実を結ばない

遇い難きこの法の会を山吹の花とばかりになすな皆人 仏法というのは人生の目的を教えている。ちょっとやそっとであえる教えではない。仏教にであうことは非常に難しい。何百万何千万だしても聞けない教えです。法とは仏法。仏法イコール真実ですから。大宇宙…

三定死

二河白道のたとえで、 旅人が二河の間の白道を進んでいくと、 やがて三定死になる。 自ら思念すらく「我今回らばまた死せん、住まらばまた死せん、 去かばまた死せん、一種として死を免れず」。 もうこれ以上進めない。帰ろうと思う。しかし、帰ろうとしても…

モチベーションが続かない

調子のよいときは、よし頑張るぞ、と無理をしてでも頑張ろう という気持ちがあるのですが、その思いが続かなくて、 気落ちすると仏法を聞こうという気持ちがなくなってしまいます。 感情の揺れが激しくおこる人はどうすればいいのでしょうか。 仏法を求める…

仏法は聴聞に極まる

仏法は聴聞に極まる事を教えられた親鸞聖人のお言葉は、「たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて仏の御名を聞く人は永く不退にかなうなり (浄土和讃)」 大宇宙が火の海原になっても、そこを突破して仏法を聞きなさい、ということです。これ以上真剣な…