無常も同じ。
本当は無常なんてこれっぽっちもおもえない。
自分が死ぬなんて死ぬまで絶対おもえない。
自分を死なないとおもっているということは
白いチョークを赤いチョークと思っているほどのこと
白いチョークを赤いチョークと思っているということは
よほど大馬鹿者。
しかし、自分を死なないとおもっているということはそういうことと同じ。
みんな明日しなないと思っている。
しかし、それは永遠にしなないと思っている心。
無常も感じず、罪悪を懺悔する心もないのが私たち。
それを親鸞 聖人は無慚無愧とおっしゃっている。
クリスチャンが人を殺しておいて、
教会に行ってなみだながして懺悔して、
また明日は同じことをしてりる。そんなのはちゃんちゃらおかしい。
そういうのは身を切るような懺悔ではない。
これは言葉ではわからない。
「そんなことない。おれは罪悪感じます。おれは無常感じます」
という人がいるかもしれない。
しかし、信じられないならどうぞやってみてください。
どういってもうぬぼれがなくならないのが私たち。