仏教研究室

仏教を研究しています。

無常観

無常も同じ。
本当は無常なんてこれっぽっちもおもえない。

自分が死ぬなんて死ぬまで絶対おもえない。


自分を死なないとおもっているということは
白いチョークを赤いチョークと思っているほどのこと


白いチョークを赤いチョークと思っているということは

よほど大馬鹿者。

しかし、自分を死なないとおもっているということはそういうことと同じ。
みんな明日しなないと思っている。

しかし、それは永遠にしなないと思っている心。


無常も感じず、罪悪を懺悔する心もないのが私たち。
それを親鸞聖人は無慚無愧とおっしゃっている。

クリスチャンが人を殺しておいて、

教会に行ってなみだながして懺悔して、

また明日は同じことをしてりる。そんなのはちゃんちゃらおかしい。
そういうのは身を切るような懺悔ではない。

これは言葉ではわからない。

「そんなことない。おれは罪悪感じます。おれは無常感じます」

という人がいるかもしれない。

しかし、信じられないならどうぞやってみてください。

どういってもうぬぼれがなくならないのが私たち。

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