仏教研究室

仏教を研究しています。

善知識に対する気持ち

まったく仏教を説く人がいない。

寺はたくさんあって、袈裟かけた坊主はいるが

仏教を説く人がいない。

真実を説ききる人がいない。

 

お釈迦さまは般舟三昧経に
「善知識おられたら千里二千里はおろか海山こえてもはせさんじよ、

仏の如くうやまえ、身肉手足をも供養せよ」

海を越えても山を越えても聞かせていただくものだ、
この世に生まれてきた意味、大切なことを教えてくれる人があったら

海山を越えても聞くべきじゃないか。

 

「真の知識に値うことは難きがなかになお難し」
親鸞聖人もおっしゃっている。

親鸞聖人にとっては法然上人が善知識、

比叡山で20年間あわれなかった。
法然上人とのであいをどうかいておられるか

「昿劫多生のあいだにも出離の強縁知らざりき」

昿劫多生のあいだにもあいがたかった、知らなかった。

9歳から20年間修行したけどあわれなかった、

とは書いておられない。

この法然上人という方は昿劫多生のあいだにもおあいできなかった方だ。
何べんも生まれ変わり死に変わり迷いを重ねてきた。

こんな方にはとてもとてもお会いできなかった、

助けてくださる弥陀の本願があってもおしえてくれる人がなかった。
もし法然上人がおられなかったら、

このたびむなしくすぎていっただろうなあ。

20年間おあいできなかったとは書いておられない、
まるで法然上人に救われたかのような書き方をされている。

善知識というかたは昿劫多生の間にも会えなかった、あえて善かった、

危ないところだったな、法然上人に救われた、

といわれんばかりの書き方。

そういう気持ちで、善知識にあえて善かったという気持ち、

それがまた仏法を大切に求める心につながる。

 

本当の仏教は、このサイトに説かれている。