蓮如上人の御一代記聞書154
同行の前にては喜ぶなり。これ名聞なり。信の上は一人居て喜ぶ法なり。
「信の上は一人居て喜ぶ法なり」とは?
「名聞」とは名誉欲 誰かと比較相対して喜ぶ。
逆にいうと誰かと比べなければ喜べない。
「朝日新聞・各国の首脳」写真を撮るとき序列が問題になる。
この中に一人いて喜んでいる人があるか。
俺のほうが前だ、真中だと争うのが各国の代表。
全人類の姿。誰かと比べて喜ぶのが相対の幸福。
「二クソン大統領が奥さんに暴力」。
権力の座と言ってもたかが知れている。
超えられることに脅えている。
常に危機感を持ってライバルをつぶしていく。
とてもゆっくりしていられない。
内心では大きな不安を抱えている。
ところが仏法は、信の上は、信心決定した人は一人居て喜べる。
これが人生の目的。
そうでなければ超えられると自分が惨めになる、
そんなものが人生の目的であるはずがない。
人は山のてっぺんに上ることはできるが、何時までもそこに居れない。
上ってしまえばあとは落ちるだけ。
オリンピックの世界記録といっても必ず破られてしまう。
体操の池谷は銀メダルをとっても生活は何も変わらなかった。
人が見ていなかったら誰がやるか。
名誉欲だ。
人生の目的を達成した人は一人いて喜べる。