仏教研究室

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定めて後悔のみにて候わんずるぞ

御文章1帖目6通

この分にては、往生つかまつり候うとも、いまは子細なく候うべきに

 蓮如上人は、このような覚悟でしておられますので、

往生しても悔いはない、本望であるが、

「それにつけても、面々の心中はことのほか、油断どもにてこそは候へ」

 

顔から覗かれる心の中を見るには、油断している人ばかり。

どの顔もどの顔も死なぬ顔ばかり。

まるっきり油断している。

 

命のあらん限りは、我らは今のごとくにてあるべく候

命のあらん限りは、我らは今のごとく、油断ばかり。

後からどうでもいいことばかりやって油断している。

つまらぬことにくよくようじうじしている。

 

よろずにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じそうらえ。

あんたそういうことでどうするの。

 

明日もしらぬいのちにてこそ候うに、

あなたはいつ死ぬか分からない。

 

なにごとをもうすもいのちおわりそうらわば、いたずらごとにてあるべく候う。

あなたが何をやっても、命が終わってしまえば、すべてが水泡に帰す。

そういう深刻な後生の一大事があるから、

そういうあなたの後生の一大事を解決してもらいたいのに、油断している。

だから、

命のうちに不審もとくとく晴れられ候わでは定めて後悔のみにて候わんずるぞ、
御心得あるべく候

 油断ばかりしている者は一息切れて取り返しのつかないことになる。
 不審とは、後生暗い心、無明の闇。早く解決して信心決定せよ。

 

後生暗い心を晴らすことが目的。いつまでもまだ大丈夫と目を奪われて、

一息切れたら、定めて後悔のみにて候はんずるぞ。

馬鹿だった馬鹿だった、どうしてもっと真剣に聞かなかったのかと後悔するから、

心得ておけよと言われている。

 こう教えられているのが睡眠という御文章。

 このお手紙は仏とも法とも知られない人に書かれているのではない。

仏法に御縁があった人に、書き残さずにはおれないと、

御縁があった門徒の人に書かれたお手紙。

 

後の年に取り出して御覧候へとは、

後の人も読みなさいといわれたのが御文章。