仏教研究室

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マラソンは人生の縮図

日本人は、マラソン好き。
正月早々から、群馬県では、実業団駅伝、
箱根の山では、箱根駅伝(大学対抗)

 

どうして、マラソンという競技が
たくさんの人に受けるのか、その理由は?

 

よく

「マラソンとは人生の縮図である」
とマラソンは人生にたとえられる。

 

マラソンは、42.195キロ、一瞬では勝負は決まらない。
スタート地点で調子がよくても、後から、挽回もある。

人生またしかり、最初は調子よくても、いつまでも
そのまま行くとは限らない。

途中で、お腹が痛くなる。思わぬ足の故障など。
順調に行って仕事が、暗礁に乗り上げ、会社は倒産。
妻と子供には逃げられる。
そういった数々の挫折がある。

 

マラソンの醍醐味は、その「ひたむきさ」でしょう。
お腹が痛いのか、足をくじいたのか、

ランナーが大変辛そう、苦しそうな表情、今にも倒れそう。

しかし、それでも頑張って走っている。
最後までアキラメないで、走っている。
そして、とうとう走りぬく。ゴ〜ル。

そういう姿が多くの人に感動を与え、

マラソンを人気種目にしているのでしょう。

沿道から旗をもって、応援する人
テレビから見守る人、

やはり、そういう人への声援に力が入る。

 

ここがまた、人生によく似ている。

私達も頑張って一生懸命生きている人を見ると
声援を送りたくなる。

「だからあなたも生き抜いて」
作者の大平さんは、小さい頃、イジメにあって自殺までした。

その後不良の仲間になって、とうとう極道の妻に。

もう、何をやってもだめ、あきらめかけた人生だったが、
恩師の勧めで、司法試験の勉強を。そして一発合格。

 

辛い苦しいところを頑張って、あきらめないで生きぬいた。
「よく頑張った、よくやった」

周りからの惜しみない声援。

そういう姿が反響を呼んで、ベストセラー。

 

そういえば、早稲田の乙武君(おとたけ)の
五体不満足」が大ブレイク。

大変な障害を背負いながら、頑張って生きている。
「偉い!頑張れ!応援してるぞ!」
これまた、マラソンランナーを応援する人の心境ですね。

さて、そこまでは、マラソンと人生とよく似ている点。

 

しかし、実は、似ているようで、全く異なる点もある。

先頭集団はとっくにゴール、既に3時間を経過した。
今にも倒れそうな、マラソンランナーが一人、
足を引きずり、お腹をかかえて、辛そうに走ってきた。

距離は、42キロ地点。
あとゴールまで200メートル。
しかしもう、力尽きた、燃え尽きた。
「これ以上、走れない」「もうだめ」
その場に、スローモーションで倒れる。

明日のジョーのように。

 

沿道の丹下ダン平、

「立て!立つんだジョー!」
そのときの声援。
「頑張れ!」「走れ!」

しかし、それより、もっと効果的なのは、
「あと少しだぞ!」

「ゴールはすぐそこだ、そこまで走れ!」

ジョーがかすれかすれの目で前を見ると、「ゴール」の文字が。
ロッキーのテーマ。
そこからスローモーションで立ちあがり、一歩一歩。
そして感動のゴール。

 

人生にも似たような状況がある。
毎年、自殺者が三万人、中でも中高年が増えている。
これまで一生懸命頑張ってきた、耐えてきた。

しかしもう限界。
「これ以上、生きていけない」「もうだめ」
手首を切るか、首をつるか、あるいは薬で…。

「俺もう、死のうかと思う…」

携帯電話で連絡を受けた友人、
一目散に、その人のところへ言って、説得する。

「頑張れ!」「生きろ!」「簡単にアキラメルな!」
沿道の丹下と一緒。
でも、一つ違うのは?

 

それは、
「あと少しだぞ!」「ゴールはすぐそこだ!」
この肝心な言葉が出てこない。

 

倒れるランナーにとっては、一番聞きたい言葉。

苦しくても辛くても、ゴールがあるからこそ、
そこまで頑張って走ろう、という気になる。
そして、ゴールについたとき
「頑張って走ってきて良かった!」と心から喜べる。

でも人生では、この最も大事な
「人生のゴールはどこなのか」
「何の為に辛くても苦しくても生きねばならないのか」

これがハッキリしていないのではなかろうか?

ハッキリしていれば、「頑張ってあそこまで生きろ!」
力強く、自信を持って言える。
しかし、これがよく分からない。

 

芥川も指摘している。
「人生は狂人の主催したオリンピック」

ゴールも分からず走りつづけていたら悲劇。
走り倒れしかない。

 

何が人生の目的か。
「生きてきてよかった」と心から喜べるゴールは
何なのか、ハッキリするまで、仏教を聞きましょう。

 

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