仏教研究室

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煩悩具足

難思の弘誓は難度海を度する大船

親鸞聖人『教行信証』)

 

難度海」が分からないと、

難度海を度する大船」も分からない。

 

難度海とは、苦しみの波が次々とやってくる人生のこと。

なぜ難度海になってしまうか。

煩悩具足の凡夫が火宅無常の世界に住んでいるから。


 大抵は、自分が掴まっている趣味や生き甲斐の

丸太が裏切るとは思っていない。

人のことだと思っている。

 

笑うものも続けて転ぶ雪の道
「あー、いどいな、あいつ。難度海だな。」

と言いながらも、自分は大丈夫だと思っている。

しかし自分の丸太が裏切る。

 煩悩具足とは。

いろんな所で言われている。

歎異抄第一章「煩悩熾盛の衆生

熾盛とは燃えさかっているということ。

浄土文類聚鈔煩悩成就の凡夫」いずれも同じ意味。

私たちの心、煩悩燃えさかっている、煩悩でできている。

なかなかこの現実、真実が受け止められずにいる。

邪見きょう慢悪衆生」と正信偈にあるが、

あいつのことだ、俺は違うぞ、と思っているが、

現実は自分が煩悩具足の凡夫である。

 

仏法聞いてるとそれが知らされてきます。
 親鸞聖人、いろんな形で仰有っている。

一切凡小一切時の中に貪愛の心常に能く善心を汚し、

 瞋憎の心常に能く法財を焼く

煩悩具足の私たちのすがたを教えられている。

貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く法財を焼く
善心とはよいことやろう、という心。

貪欲愛欲の心が汚す。

というと美しいように聞こえるが、「愛憎一如」と言って、

愛憎違順親鸞聖人言われているが、

自分の言うことにはいはい従う人は好き。

しかし聞かない人は憎い。

 怒り、憎しみの心が人生の目的聞かされて、

これ一つ果たすために生きていると知らされた。

だから私は大丈夫、と思ったら大間違い。

煩悩具足ですから、こういうことやっている。

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