仏教研究室

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罪悪も業報を感ずることあたわず

罪悪も業報を感ずることあたわず
感ずることあたわずとはどういうことか?

 

苦しみが喜びに転ずるということ。
どんな悪をしてもどんな悪果が返ってきても何も感じないとは

よほどの恥知らずとなったり大変です。

そして転悪成善、罪障功徳の体となる。

諸善も及ぶ事無き故に

どんなに素晴らしい人がどんなに努力して善をしたとしても

その善因善果から得られる結果も及ばないのである。

 

罪悪も業報も感ずることあたわずとは

苦しみが幸せに転じ変わるということです。


罪障功徳の体となる、氷と水の如くにて

 氷多きに水多し、障り多きに徳多し

 

罪障とは煩悩によってつくる罪です。

例えばお金がほしくてついつい盗んじゃう。

テストでついつい隣の人の答を見ちゃう。

 

煩悩によって作った悪が悪果となって返ってきて障りとなる。

無碍の一道に出た人も泥棒をして逮捕される。

そういうこともあります。

功徳とは仏教で二つ意味があります。

善根功徳、菩提功徳、善根功徳とは善のこと。
菩提功徳とは喜びのことです。

 

煩悩によって作った悪が菩提功徳、

喜びと転じ変わる。

氷とはあっちにぶつかりこっちにぶつかり、邪魔になる、障りになる。

それに対して水はぶつからない邪魔にならない、障りにならない。

 

喜びの元になったのが罪障である、

氷が大きければ大きいほど喜びは大きい。

こら阿弥陀 助けたいなら助けさそ、罪は渡さぬ、喜びの元

 

実感がなかなか出来ないという人には

懺悔即歓喜ということについて説明するとよいですね。

信心決定しますと、何て浅ましいのだろ、

何て馬鹿なもんでしょうと照らされて懺悔が起きます。

かくも浅ましい者を救って下されるとは何て有難いことだろ、

何てもったいないんだろ、救い取られたことを喜ばずにはおれない。

隋犯隋懺ともいいます。

よく薪が燃えて明かりになるといいますが、薪

とは邪魔なものですが、その薪に火がつきますと、
薪が大きいほど明るくなります。

薪とは煩悩のことです。

煩悩に弥陀の火が尽きますと煩悩があればあるほど幸せになれる。

煩悩が無ければ喜ぶ心も無いです。

無碍の一道とは障りがなくなった世界とも言われますが、

なくなるどころでないです。

煩悩が喜びの種になるんだ!!

信心決定する前に借金が多い人ほど救われた後借金が多ければ多いほど、

喜びの多い不思議な世界であるということです。

借金が棒引きになる。

「重荷背おうて山坂すれどご恩思えば苦にならぬ」
「渋柿の渋がそのまま甘みかな」
「見れば見るほど頼もしそうな添うて苦労がしてみたい」

他のどの宗教を見ましても他のどんな哲学を見ても

煩悩が喜びの種になるなんてないことです。

親鸞聖人だけが明らかにされています。