どう生きるか、の前に、
なぜ生きるか、がなければならない。
手段と目的があって、手段だけで目的がないのはおかしい。
では、人生の目的は、決勝点は、どうなっているのか。
それは、摂取不捨の利益にあずかる事である。
その幸せが、絶対に崩れることなく、壊れることなく、
永遠に幸せにがちっと収めとられる。
それが人生の目的である。
また同じ歎異抄の第七章には、
摂取不捨の幸せに収めとられた姿を、
無碍の一道と教えられている。
「念仏者は無碍の一道なり」
風呂場に入って念仏称える人もあれば、まちまちでありますけれども、
親鸞 聖人がおっしゃったのは、人生の目的を果たして、
念仏者とは、人生の目的を果たした人。
人生の目的を果たした人は、無碍の一道に出ることができる。