仏教研究室

仏教を研究しています。

仏教を求め聞くときのここだなあの心がけ

ここだなあ

超大型台風が、関西を直撃したときのこと。
大阪のある学校で、先生始め大勢の生徒たちが、狂風に揉まれ、
不気味に軋む校舎の中で、どうしたらよいものかと、
生きた心地もなく途方にくれていた。

一人の教師がその時、敢然と立って叫んだ。
「みんな、風に向かって出ろ」生徒たちは外へ飛び出した。

しかし、出るには出たが、たちまち風に吹き飛ばされてしまう。
自然に風下へ、風下へと行こうとする。
「それではダメだ。這って田圃へ出て稲にすがって進むんだ」
教師のえらい権幕に驚いて子供達は、田圃へ出て稲につかまって進んだ。
間もなく大音響が轟き、風下へ校舎が倒壊したが、
一人の死傷者も出なかった。

人生また然り。泰然自若、大勇士の覚悟で苦難に向かってゆけばよいと、
いくら分かっていても敢行が難しい。
朝起きてから夜寝るまで、気に食わぬことが山ほどある。
ささいなことなら、洗面の水が冷たすぎたり、湯ならば熱すぎたり。

食卓に向かえば、飯が強かったり柔らかすぎたり。
第一天候が、スッキリ注文通りになることは、年に三日もなかろう。
家庭や職場での人間関係の煩わしさ。
その上、不幸や災難に襲われる。いずれも苦しませるか、悲しませるか、傷つける。
喜ばせるものは少ない。

そんなとき、「ここだなあ」と思ってみたら、どうだろう。
忍耐というのは「ここだなあ」と思い出せば、苦労も軽くなる。
親切というのは「ここだなあ」と思えば、イヤ味なく接せられる。
勇気とは「ここだなあ」と思えば、赦せぬことでも赦せるようになってくる。
「ここだなあ」の稲にすがって、苦難の嵐に向かって、一歩でも前進したいものである。

 ここだなあと思って、乗り越えなさい。
仏法を求めるときには、ここだなあの信念が極めて大切。

どんな嫌なこと、困ったことでも、求道の勝縁とならないものはない。
楽に仏法を聴聞しているのは、止まっている。

当たる波も多くなる。そこを突き破って進んでいく。
仏縁の浅い人にも有益なもののようでもあり、
仏法者に当てられたメッセージとも取れる。
 

我々の場合、仏法の話をしようと思ったら、
相手が冷たすぎたり熱すぎたり。

同行との人間関係に苦しんだり。
同行が尊敬できないけど、求めていかないといけないとか。
そういうときに、
「ここだなあ」
大事。

圧倒的にそんなに忍耐したことがない私達が
一体どこまで忍耐できるか、
自分がそれにくじけずどこまでがんばれるか。

いろいろな工夫をして勝縁をいかして
仏教を求めて行く。
ここだなあ、私の正念場はと。