「私は、先輩から、友達から、厳しいことを言われると、怒りが噴き出し、
仏教が真剣に聞けません。自分が悪いのに、悪いと思えません。
どうすればいいでしょうか」という人があります。
怒りは地獄に堕ちる業因、欲は餓鬼道、愚痴は畜生に堕ちる種まきです。
教行信証信巻に「瞋憎の心常に能く法財を焼く」とあります。
「法財」とは「聞法心」ということです。
あんたにそんなこと言われんなら、辞めたよチクショー!辞めてやるよ!
怒ってしまったならばもう止まらない。
仏法聞こうと思っても、長年苦労して手にしたものも一瞬にして失う。
怒りが起こるのは、自分は正しい、あいつは間違ってる、
という自惚れ心からです。
人間はそれぞれ信念をもっているもの。
あんなことさえ出来んものが信念をもってるのか、と思っても、
もってるものです。
仏法の精神から見たらあなたのは間違ってますよ、
と言われ素直に受け入れられるくらいに浅い迷いではありませんので、
みんな痛みを感じる。痛んで逃げたくなる。
しかし聞法とは常に痛みを受けることです。
苦しくなければ聞法求道ではありません。
痛みのない求道はありません。
叱られると痛みが起こる。
その痛みが怒りに変わる。
その心との戦い。
そういう痛いところを、苦しいところを、忍耐して進んでいくから、
だから求道になる。