仏教研究室

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子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたらアウト

文芸春秋に出ていた。

『「なぜ人を殺してはいけないのか」と子供に聞かれたら』

 

ノンフィクション作家の久田恵の答え


「問われてからでは遅すぎる」
 子どもはさまざまな問いを発して育っていく。

(略)

12歳の時に「いずれ地球は消滅する。生きるのはムナシイと思わないか?」

と問われ、

「明日地球が滅びようとも人は今日、一本の木を植える、

人間はいかなる時も希望を持ってしか生きられない」

と、うろ覚えの本の言葉を借りて答えたこともある。
(略)

つまり「なぜ人を殺してはいけないのか」と問う前に、

実は子どもは幼い頃からたくさんの「なぜ人を殺してはいけないのか」の

答えに通ずる問いを懸命に発し、答えを求めて育ってきていると

考えなければならないと思う。

むろん、親であるこちらも限界のある大人だからうまく、

答えられないことがある。

それでも、「あなたはかけがえのない存在として生まれ、

今、ここにこうして生きていて、周りに喜びを与えている」

という肯定的なメッセージを与え、

それが長い時間かかって地面に染みる水のように心に染みているかどうか、

これがとてつもなく大事なことのように思う。

(略)

子どもが思春期になり自意識の鎧に身を固めてしまえば、

たいてい親子の対話は閉ざされる。

この時期になったら「なぜ人を殺してはいけないのか」

と親に真摯に問う子どもがいるとは思えない。

多くの子どもは、閉ざされた狭い自意識の内部で、自問自答して答えを出す。

「ゴキブリと人間の命は等価だ、

ゴキブリを殺していいのなら人を殺してもかまわない」

との答えも出しかねないわけで、

その時はどんな言葉も壁にぶつかって跳ね返ってくるボールみたいなものだ。

(略)

 

この問いに、子供に聞かれても、答えられないということのようです。

 

それ以前に、常日頃からの親子の対話が大事、周りに喜びを与えているのだ

という肯定的メッセージが大事ということでしょう。

しかし、自分の人生を肯定できない人が殺人をするという、

ある意味分かり切ったことを述べているだけのように思えます。

 

人が生きる価値、生きる意味を知ることが重要です。

 

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