仏教研究室

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阿弥陀如来に救い摂られても、煩悩はなくならない

能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃

親鸞聖人『正信偈』)

 

信心決定した後も、煩悩は無くならないと言われている。
」とは他力のことです。

阿弥陀仏のお力のことです。

能が全部他力を表すわけではないですが、ここではそうです。

阿弥陀仏のお力によって、
一念に喜愛心が起きるといわれています。

喜愛心」とは、好もしく疑いが晴れた心。

一念」とは、信の一念のこと。

 

それ真実の信楽を按ずるに、信楽に一念あり。

「一念」とは、是れ信楽開発の時尅の極促を顕す。

             (教行信証信巻)

 

信心決定の時間の極まりを顕す。

アッと言う間のない時間です。

この正信偈は、大無量寿経の異訳のお経、

無量寿如来会の本願成就文です。

 

能く一念の浄信を發して、歓喜愛楽せん。

      (無量寿如来会)

喜愛心の喜は信楽の楽、愛は信。

信楽の心。

 

そして、煩悩を断ずることなく、

極楽にいける身になるということです。
得涅槃とは、極楽にいける身になったということ。

 

「能発一念喜愛心・不断煩悩得涅槃・凡聖逆謗斉廻入・如衆水入海一味」
といえり。この文の意は、「よく一念歓喜の信心をおこせば、煩悩を断
ぜざる具縛の凡夫ながら即ち涅槃の分を得

(浄土真要鈔)

 

煩悩あるままの救いと言うことです。

 

煩悩成就凡夫人 煩悩成就せる凡夫人、
不断煩悩得涅槃 煩悩を断ぜずして涅槃を得しむ、
則斯安楽自然徳 則ち斯れ安楽自然の徳なり。
淤泥華者経説言 淤泥華という経に説きて言わく、
高原陸地不生蓮 高原の陸地は蓮を生せず、
卑湿淤泥生蓮華 卑湿の淤泥に蓮華を生ず、
此喩凡夫在煩悩 此は凡夫煩悩の
泥中生仏正覚華 泥中に在りて仏の正覚の華を生ずるに喩うるなり。
                         (入出二門類偈)

 

煩悩を断てない凡夫なんですね。

そのあとには、淤泥不染の徳の説明があります。

どろどろの泥田に蓮華が咲くんですね。