仏教研究室

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若者が将来に希望を見いだせない

『ウェッジ』という経済紙の記事
最大の問題は次世代の旗手であるはずの青少年が将来になんの
希望も見いだせず、のたうちまわっていることであろう。

とあります。

老人がだらしない。だけど若者が元気。

これなら将来は明るい。

だけども、次の世代をになう、その青少年が将来に何の希望も見出せない。

のたうちまわっている。のたうちまわっているとはどういうことだろう。

苦しんでいるんだろうね。

「あいついいなあずいぶん楽しそうにのたうちまわっている」なんて言い方しないな。よっぽど苦しいのだろう。あなたの周りはどうですか。

文字通り転げまわっていることではなく心が病んでいる。

その証拠に
その姿を浮き彫りにしたのが、さきの日本青少年研究所の日本、韓国、中
国、米国の「中学、高校生の21世紀の夢に関する調査」ではなかろうか。

例えば、「人生目標」について、日本の中高生の多くが

「自分の趣味をエンジョイする。その日を楽しく暮らす」

と答えた。

人生の目標。趣味をエンジョイしよう。趣味を楽しもう。

あるいは、その日を楽しく暮らす。

中学生高校生のほとんどがこういう人生観で生きている。

こういうことなんですね。

 

少年よ大志を抱け。そんな大志を抱いてどうする。せいぜいあの程度。

教務員、政治家、先生。大志を抱いてもあの程度。

それより楽しいことを、趣味を楽しもう。

そんなでかいことをやらなくても今日一日楽しければいい。

こういう人生観の人が最近増えている。

昔はね、ちょっと優秀な子供が生まれるといったものだ。

彼は優秀だ、末は博士か大臣か。
これはね、親が子供に願う出世の学者の道を選べば博士。政治なら大臣。

私が小さいころはまだそんな気配があったが、今はそんなこといわない。普通
にほどほどに頑張れ。親もあんまり期待しない。親も期待しないから子供も頑
張ってもしょうがない。

こういう人生観。こういうのを、刹那主義という。

その日その日、刹那 刹那の快楽を求める。快楽主義。今が楽しければいい。

そんなつらいことしんどいこと頑張ってやらなくてもゲームで遊べばいい。

その日が楽しければいいという生き方。

サラリーマンになっても、昔は会社に入れば新入社員の一番の希望は

社長になることだった。

今は大半がそうじゃない。社長になんてなりたくない。

プライベートにつかいたい。残業はイヤダ。そういった考え方。

そういう人が増えている。

じゃあそういう人は、つまり現代の若者たちは

本当に人生それでいいと思っているのだろうか。

人生そんなものだと、本気で思っているのだろうか。

なにか全力を尽くすことなんて馬鹿馬鹿しい。一生懸命なんてつまんない。

それよりも楽に、たれぱんだのようにぶらぶら生きていこうじゃないか。

それが人生だろうと思っているのかな。

それで満足できるのかな。できないと思うね。
やっぱりなにかに全力を尽くしたいと思っているのではないかな。

燃えたいと思っているのではないか。

その証拠に誰かがなにかにうちこむ姿を見ると感動する。
そのときそのとき楽しければそれでいいという姿とは反対。

歯を食いしばって絶えて努力して辛抱して一つのことに打ち込む。

そんな人を見たとき自分もああやってうち込みたい。

全身全霊うち込みたいと思っている。

高橋尚子さん。
彼女はなぜああやって一生懸命走れたのだろう。目的があった?

尚子さんは知るの好きなんだって。

もともと走るのが好きだというのはよくわかる。何でだと思う。

あれだけ一生懸命走れたのだろう。

ゴールまで走り抜けたら、

ゴールインという決勝点があるからそこまで頑張って走れるのですよ。

どこまで行ってもゴールがない。どこまで行っても決勝点がない。

どこまで頑張っても、走りつづけなければならないとしたら

そんなレース頑張れるかな。

 

あなたはマラソンはすき?

きらいですよね。


見るのもいやかというと

見るのは好きという人が多くあります。

 

見るのは好きでしょう。

どのシーンに感動する?

苦しい中特にコースはアップダウンが激しい。

そのアップダウンを繰り返して苦しい中頑張って最後のゴールのシーン。

一番視聴率が高い。

つらくきびしい中を走ってゴールのテープを切る姿。

やったねおめでとう。そこに感動する。よーいスタート。

そこで感動。そんなことはない。

上ってくだってデッドヒートを繰り返して、ゴール。

それで感動する。

いつまで走ってもゴールがない。50キロ走っても100キロ走っても。

それでは感動しない。

苦しい中つらい中頑張ってそれを乗り越えてゴールをしときに見ている私達も

我を忘れて感動する。

 

人生も目的あってこその人生。

目的のない人生。

どこまで行っても苦しみしかない人生。そんな人生のどこに感動があるか。

つらい中苦しい中乗り越えてゴールのテープを切ったとき、

それまでの苦しみの表情がガラッと変わる。

 

それを見たいからマラソンを見る。途中からでもいいから、ゴールを見たい。
はじめから見て途中で切る人はいないと思う。ゴールを見たい。

はじめ20%くらいの視聴率だったのが、

だんだん視聴率が高まって最後の視聴率が60%。

みんなやっぱりゴールの完走したときの感動を味わいたい。

人生も同じ。

人生に目的がなかったらどれだけ歯を食いしばって

頑張っても達成した感動はない。
だから、刹那主義快楽主義という、

人生の目標がたかだかそんなものでしかないのは、

どうせ人生に目的なんかないだろうというあきらめ。

頑張っても人生に決勝点なんてないのだから手を抜いてやったり

おだやかにいこうじゃないかとなる。

それが現代の日本の中学生高校生の人生観。

それでは人間としての向上はないでしょう。

 

では人生の目的は、どこに教えられているかというと、

仏教に教えられています。

 

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