仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

幸せを求めても幸せになれない理由

すべての人は幸せを求めているが、幸せになれないでいる。

なぜ苦しんでいるのか。病気や、お金がないから、

地位や名誉がないから、と考える。

しかし、それらがある人も苦しんでいる。

なぜか。

 

私たちが生まれたというのは、飛行機で言うと、

飛行場を飛び立ったと言うことです。

やがては燃料が切れて降りなければならない。

しかし、降りるところがないと、真っ暗な心で墜落しないといけない。

すべての人は生まれたら必ず死んでいきます。

100%確実な未来が死です。

今死んでいくときに胸一面を覆うのが、真っ暗な心です。

現在、安心満足な生活を送れないのは、

死んでいくときに真っ暗な心がでてくるからです。


明日は土曜日となったら、いつまでも寝ていられる。

金曜日は花金、と言われる。

日曜の夜になると、明日から月曜日、退屈な仕事、

ということで暗い心になる。

明日がデート、となると、前の晩から興奮して眠れない。

明日が手術となると、手術があるのは明日だけれども、

今日から暗くなります。

私も鼻の手術をしたことがあったが、手術自体は2週間後だが、

前々から真っ暗な思いをします。未来がくらいと現在から暗くなります。

 

なぜ心から明るい人生を送ることができないのか。

未来に真っ暗な死というものがあるから、現在も暗くなる。

今死ぬとなったときに広がる真っ暗な心を無明と言います。

降りるところがハッキリしていない、というのは、

自分の未来がどうなるか分からない、ということ。

 生きるためにとにかく生きる。飛ぶために飛んでいる飛行機と同じ。

墜落あるだけです。


ちょうど、真っ暗なところで目隠しをして、

とにかくぶつかるまで走るだけだ、というのと同じです。

穴があるかも、壁があるかも分からないまま、走るのと同じです。

安心して走れる筈がない。

降りる飛行場がハッキリしていない、というのは

目隠しして真っ暗な所を走るのと同じです。

ものが豊になっても生命の歓喜がないのは、

未来がハッキリしていないからです。

死んだらどうなるか分からない、真っ暗な未来に向かって生きているので、

現在も暗いのです。

 

暗い心が明るくなるのは、

いつでも降りることのできる飛行場が見つかったときです。

 

降りられるかどうかハッキリしていないと、

機内食を食べようが、映画を見ようが、楽しめないです。

 

ダイハード2は、空港がハイジャックされて、電源が切れてしまう。

滑走路が見えないので、飛行機が着陸できない。

飛行機は上空でぐるぐる回る。

他の飛行機も同じようにぐるぐる回る。

 そんな降りられるかどうかハッキリしない飛行機に乗っていれば、

安心できるはずがない。

なぜ心から安心できないのか。

未来がハッキリしていないからです。

いつでも降りられる飛行場がハッキリして、

未来が明るくなるということです。

 

現在生きているときから、明るく楽しい心になります。

この明るく楽しい心を、信楽と言います。

いつ死んでも悔い無し、という信楽の心になるのが、
すべての人が求めているものです。

 

逆に幸せになれないのは、

未来がハッキリしていないからです。

 

ではどうすれば未来がハッキリするのかは、

仏教に教えられています。