報恩講で信を獲れ、
御文章の4帖目第15通にあります。
これを書き終わられて、蓮如上人は最期息を引き取られます。
報恩講にちなんで書かれている御文章を見てみますと、
4帖目の15通だけではなくて、
8通7通6通5通とあります。
何としても門徒の方に伝えねばとの思いから書かれたものです。
だいたい70歳前に、年に1度だけ書かれている御文章が4帖目に続きます。
それも11月、報恩講の時節にあたって筆を持たれた。
末代の人たちに、どうしてもこのことを書き置かねば、
死んでも死に切れんという思いが伝わります。
蓮如上人のお年を現代にあてはめてはいけません。
当時の平均年齢は50歳といわれます。
さらにお若い頃から連日の御説法をなされていたのです。
今なら57歳と聞いても現役のように思えます。
ところが当時は違います。その57歳であられた蓮如上人が、
毎日のように手紙を書かれているのです。
1帖目6通に「睡眠」というのがあります。
そこで上人は、ワシはもうだいぶ年をとった。
人間はいつ死ぬか分からない。
蓮如はいつ死んでも構わないように毎日送っている。
ところが、みんなはまだ死なんまだ死なんと油断しきっている。
これでは蓮如は死に切れん、とのお言葉です。
ところが、まだ当時、蓮如上人は三頭の駿馬を走らせ、
御説法に立たれていたのです。
その合間をぬってお手紙を書かれています。
3帖目の9通も11通も、報恩講にちなんだものです。
ここからも分かるように