仏教研究室

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仏法は聴聞に極まる

仏法は聴聞に極まる事を教えられた親鸞聖人のお言葉は、
たとい大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名を聞く人は
永く不退にかなうなり  (浄土和讃)」

大宇宙が火の海原になっても、そこを突破して仏法を聞きなさい、
ということです。
これ以上真剣な聞き方はないという聞き方をすれば、
聞く一つで救われると言う事を教えられている。

これのもとになったのが、
設い大火有りて三千大千世界に充満せんに、要ず
 当にこれを過ぎてこの経法を聞き、歓喜信楽し、
 受持読誦し、如説に修行すべし
無量寿経の「流通分」です。
結論が書かれている。
エピローグのこと。
プロローグは、「序文」。

本論は「正宗分」。
大宇宙が火の海原になっても、ここを過ぎて、仏法を聞きなさい。
この文の前に、出ているのが、

仏、弥勒に語りたまわく「それ彼の仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍し、
乃至一念すること有らん。当に知るべし。この人は大利を得と為す、
すなわちこれ無上の功徳を具足するなり」このゆえに弥勒……」

南無阿弥陀仏を丸もらいして、功徳が身の上に充満して、具足する。

これを親鸞聖人は
無慚無愧のこの身にて
まことの心はなけれども
弥陀の廻向の御名なれば
功徳は十方にみちたまう(悲歎述懐和讃)」
などとおっしゃっている。たいへんな幸せの身になる。
だから、聴聞に極まる。
大宇宙一のしあわせになれるから、聴聞をしなさいといわれている。

親鸞聖人の御和讃は、これをもとにまとめられている。
親鸞聖人の浄土和讃というのは、蓮如上人が
「仏法には世間の隙を闕きて聞くべし、

世間の隙をあけて法を聞くべき様に思う事浅ましきことなり。

仏法には明日という事あるまじき」
の御一代記聞書の中で言われている。

私たちが娑婆に生まれてきたのは、仕事をするためではない。

後生の一大事を解決するために生まれてきた。

世間の隙というのは、仕事のことです。

仏法には人生の目的が教えられている。
永遠の幸せになるには、仕事を止めてでも聞きなさい。

前触れなしに人生最後の日はやってくる。

大経の流通分と、浄土和讃と、聞書に同じ事が書かれていた。