平生業成、不体失往生、現生不退。
平生業成について、
そこに三国一の同行が来た。
そしてその人に対して、仏教の先生が説法に立たれた時、
休憩になると、控え室に怒鳴り込んできた。
何じゃあれは、聞いたことがない。あやまってこい。
そこで先生は
なんじゃとはなんじゃ。間違っているのはどこだ。
ここでハッキリ救われるという話は聞いたことがない。
そういうことは先生は知っておられた。
最近の葬式仏教では、縦の線とか横の線とか聞いたことがない。
生まれたときから助かっている、死ねば誰でも極楽へいけると言う。
信前と信後があるという親鸞 聖人が教えられた通りの説法はもうほとんどない。
そのとき先生は、
平生業成、不体失往生 、現生不退を
三国一の同行に示された。
おじいさん死ぬまで求道と言うことなら死ぬまで求める。
求めるのは足らないものがあるから。
まだ満足ができないから求める。死ぬまで求道は一生不足。
永遠に決着が付かない。
こういうのを仏教では流転輪廻という。
これが自力の信心の特徴。
今の本願寺の布教使では分からない。
おじいさんは毛のない頭をかいて、困っていた。
そこで助け船を出されて、死ぬまで求道は仏恩報謝のことでしょ。
おじいさんは助け船に乗って、そうじゃ。
南無阿弥陀仏と私が一つになる。
そして大安心大満足の信楽の心に救われる。
そういう水際がある。
平生業成、不体失往生、現生不退は
親鸞聖人が教えられていること。