現在は末法といわれます。
末法とは何でしょうか。
仏教では、正法、像法、末法、法滅の時代区分があります。
正法の時機・・・釈尊がお亡くなりになられてから500年
像法の時機・・・正法の時機終わってから1000年
末法の時機・・・像法の時機終わってから10000年
法滅の時機・・・末法10000年の後無窮
これを三時といいます。
4つの時機に分けて教えられていますが、正法、像法、末法の3つから、
三時といわれます。
次に仏教で、さとりをうるまでの段階を、教・行・証と教えられています。
教とは教え。
教えとは、進むべき方向。どのように進んでいけばよいか。まず教え。
行とは、その教えの通り行じる。
行じたならば、証がえられる。
タクシーののった。
まず、目的地、そして、そこまでどのようにしていくか。これが大切。先。
これが、教え。
次に、その通りに走ったなら、これが、行。
目的地に到着する。証。
その教行証が、お釈迦さまがお亡くなりになった後、
時間が経つにつれてなくなっていきます。
正法の時機は教えがある。
また、教えの通り実行する人もある。
そのとおり実行して、悟る者もある。
像法の時機は教えがあり、実行する人もあるが、悟る人はいない。
末法になると、教えがあっても、実行する人がない。
悟るひともいない。
教 行 証
正法 ○ ○ ○
像法 ○ ○ ×
末法 ○ × ×
法滅 × × ×
今日は、末法。修行しているように見える人も、
実際に、教えにもとずいて実行しているか。
その、坊さんの目的は何か。名聞、利養でないか。
授業の一貫としているのだから、お金をもらっているだろう。
お金をもらわずに、真剣に学生に教えられるか。
ある大学生の女性が、永平寺の研修にいったら、
住所と電話番号を教えてくれと迫ってきたとのこと。
問題です。
どこに、後生の一大事を心にかけて修行をしている人があるか。
煩悩を絶って、善をしようとしている人がいるか。おりません。
だいぶ前になるが、あの天台宗の比叡山で、
僧侶が、坂本冬美を呼んで、コンサートを開いた。
そこに、坊主もいて、手をたたいて喜んでいる。これが現状です。
ここで、釈尊がおっしゃってる「教え」とは、
聖道門仏教の教えのことです。
これを間違えない様にしてもらいたい。
聖道門仏教のことを、また、自力仏教ともいいます。
また、釈迦仏教、また、山の上の仏教ともいわれます。
難行道仏教ともいわれます。
お釈迦さまは、このように教えられています。
未だ一人も得る者有らず」と。
当今は末法にしてこれ五濁悪世なり、唯浄土の一門有りて通入すべき路なり。
この、聖道門仏教では、末法の人は、誰も助からない、
阿弥陀如来の本願によってのみ助かるのです。
この阿弥陀仏の救いを教えている仏教をなんといわれるか。
聖道門仏教に対して浄土門仏教、
難行道に対して易行道。
釈迦仏教に対して弥陀仏教。
山の上の仏教に対して山の下の仏教といわれます。