仏教研究室

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蓮如上人の三願転入

この雑行雑修の共通悪は共に自力の心。
何とかすれば何とかなれると思っている心。
それで雑行雑修自力の心を振り捨ててと言われている。

この短い言葉に三願転入のみ教えがおさまっている。

蓮如上人は親鸞 聖人の三願転入の心を
19願を雑行と言われ、
20願を雑修と言われ、
共通悪、自力の心。

自力の心を捨てよと言われていますから。

雑行雑修自力の心を振り捨てて、奥座敷、18願の世界。
この短い言葉に鮮やかに蓮如上人はおっしゃっている。
間空間を超越した万人共通の体験とは三願転入のみ教え。

具体的な道のりは違いますが、同じ心の道を通らせていただく。
19願というのは、
十方世界の人々が人生の苦しみの連続に驚いて
どうしたら安楽の世界に出られるのか。
その為には善をやらねばならないと奮発心を起こして
極楽に生まれたいと思うものは臨終に菩薩諸仏に取り囲まれて助かる。

その為には誠心誠意。
因果の道理。
因善果悪因悪果自因自果
には寸分の狂いはない。
知っただけでは観念の遊戯。
実行しなければならない。

全力を尽くして悪を慎み善に向かう。
して因果の道理を知らされて進んで
いくと悪はやめ難く、善の成しがたい己が知らされてきます。
かざるを得ない。
そんな我々に誓われたのが次の20願であります。

 

20願というのは十方世界の人々が
南無阿弥陀仏の名号を聞いて称えた功徳で、
我が国に生まれたいと思うものは必ずその思いを遂げさせてあげようと
誓われた。
開いたら五正行になる
諸善万行そして念仏
そして阿弥陀如来 に益々向かわずにおれない。
諸善万行で何とかなれると思っていたが、
心が不安だからおつとめ念仏一生懸命称えずにおれない。

真面目にせずにおれない。
ここで誠心誠意念仏を称えようと努めれば努めるほど不安な心。
悪は止め難く善は成しがたい。
悪い心や行為をしながら念仏
称えても功徳にならない気がするから、
謹もうとするが称えるほど不安な心は出てくる。

悪しか作れない心が知らされて不安で苦しくなる。
こんなものでもお助けと安心して喜びたいが救われていないから喜べない。

法の尊さ、阿弥陀如来の本願まことと聞かされると助かるように思うが
悪性が吹き上がってくると
こんな事では助からないのではないかと堕ちる気がする。

心の善し悪しで、心の不安動乱が止まない。
弥陀仏は19、20願で無能無力真実のカケラもない自己を知らせるために誓われた。

真実のカケラもないことを知らせ、次の18願の絶対の幸福に転入させるのが狙い。
私たちは後生も菩提も知らない。

後生の一大事聞いても、驚かず、絶対の幸福といっても、せせら笑っているのが本性。
これを逆謗の屍と言われた。
それを絶対の幸福に救うと言われたのが18願。

そしてこうまで聞かされても聞き抜けない、やめるにやめられない、
にっちもさっちもいかなくなったところが三定死。
一切の望みが絶ちきられたときと阿弥陀仏の大慈悲心が徹到したときは同時。

ここで阿弥陀仏の無辺の智慧と無限の慈悲を体得する。
遠く宿縁を喜ばずにおれない身になる。
鸞聖人は19、20願の道程を通らなければならないことを発見し教導された。

18願の世界に救われた無碍の一道。
9願20願の道程を通らねばならないことを発見された。

雑行雑修の共通悪は自力ですから、
早く19.20を通って18願の世界に入りなさいと短い言葉でおっしゃっている。
自力が廃った一念。

 

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