仏教研究室

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自力が廃るとどうなるか

自力の心がなくなるとどうなるのでしょうか。

自力の心のことを無明の闇といわれます。
これがなくなったどうかが問題であると、親鸞聖人は教えられています。
愚禿鈔です。

 

信受本願 │ 本願を信受するは
前念命終 │ 前念命終なり
即得往生 │ 即得往生は
後念即生 │ 後念即生なり(親鸞聖人)

 

本願を信受するというのは、本願まことだったとしらされたということです。
本願には三つの心が誓われています。
それを、天親菩薩という大変偉い方が、信楽の一心であると教えて下さいました。
そして、信楽とは、破闇満願の身にしてみせるということを
曇鸞大師という、また大変偉い方が明らかにして下さったということです。
親鸞聖人はこのお二方を、大変尊敬されています。

破闇の闇とは無明の闇のことで苦悩の根元です。

私達は、あの人がいるから、金がないから、レポートが大変だからと、
色々思っていると思います。
こういうことはハッキリしているんじゃない?

そこから間違っているんですね。
本屋にいっても、対処法の説明ばかり。
根元を教えたものなんかないんだね。
レポート嫌なら大学やめればいいじゃない。
でもそうしたら、高卒でどうやって仕事探すかという悩みが出てくるわけだ。
枝葉なんだよ、そういう悩みは。
いろんな苦しみを引きずりながら、沢山の実をつけながら、何とか生きているんだね。
その苦しみの根元から抜き取ってみせるというのが、
無明の闇を破るということなんです。

これがあったら幸せになれると思っているものもありますね。
一年生になったらっていう歌ありますね。
ああなったら、こうなったらとその都度やっているけど、みんな根元を間違っているんですね。
その苦しみの根元を無明の闇と教えられ、それを抜いてみせるというのが阿弥陀仏の本願です。
親鸞聖人は、その無明の闇が破れたよろこびを
「慶ばしきかな。心を弘誓の仏地に樹て」と仰っています。

この心が一念で、無明の闇という、迷いの命が終わったんだと。
一念で信楽という心に生まれたと。
本願まことだったと知らされたんですね。