若不生者不取正覚
もし生まれさせることができなければ、
絶対の幸福にできなければ命を捨てようと命がけの約束をされている。
この世も未来もどんな苦悩を持つ者も平等に絶対の幸福を与えよう、
一味平等の幸せにしてみせる、差別のない世界。
とてつもない本願なので親鸞 聖人は正信偈に
建立無上殊勝願
といわれている。
この通りになれる。
体験できる。
ですから阿弥陀如来の本願にツユチリほど疑いなくハッキリするのは当たり前、
生きているときに弥陀の本願が誠とハッキリするので疑いの出ようがない。
例皆さんでお金を貸したことがあるという人。
人間関係に問題が出るのであまりよくないが、貸したら本当に返してくれるかな。
忘れるかも知れないと疑いが出る。
彼だから返さないことは無いと信じているけれどもと疑う。
疑いの心一杯、所が約束の3日前にこの前借りた1万円返した、
そうしたら疑いはなくなる。
返してもらったのに、彼は帰してくれるかなという疑いは微塵も出てこない。
阿弥陀如来 の本願通りに、36文字通りになれば、
ですから本願と一つになる、疑いがないので、
誠だった、誠だったとなります。
この一念までは疑い一杯、阿弥陀仏の本願通りになっていないから、
しかし一念で信楽の身になりますから、
絶対の幸福になるので本願まことだったとなる。