仏教研究室

仏教を研究しています。

本当の仏教は何回救われる?

本当の仏教は「二益法門」と言われます。

 

二度の臨終・二度の葬式を教えられています。
根拠として、蓮如上人の御文章のお言葉があります。

問うていわく、正定と滅度とは一益と心得べきか、またニ益と心得べきや
答えていわく、一念発起のかたは正定聚なり、これは穢土の益なり。
次に滅度は浄土にて得べき益にてあるなりと心得べきなり。
されば二益なりと思うべきものなり。

 

これは「二益法門」といわれる教えです。

「法門」とは「教え」ということで、
「ニ益」とは「現益」と「当益」の二つをいい、
これを「現当ニ益」といいます。

 

「現益」
まず、「現益」とは現世の利益ということで、
生きている現在、受ける幸せをいいます。

 

これについて、『和讃』に

南無阿弥陀仏を称うれば、
この世の利益きわもなし

流転輪廻の罪消えて、
定業中ようのぞこりぬ

とおっしゃっています。

阿弥陀仏の本願に救われた人は、生きている現在、
この世で数限りない幸せが受けられるということですが、
これについて、教行信証の中で親鸞聖人は
「現生十種の益」として教えておられます。

真宗聖典P351)
金剛の信心を獲得するものは、横に五趣・八難の道を超え、
現生に十種の益を獲る。

この中で最後の「入正定聚の益」は「総益」ともいわれ、
他の九つはここにおさまるといわれます。

そして、蓮如上人が御文章で「正定と滅度」とおっしゃっている
「正定」とはこの入正定聚の益ことです。

 

では、この「正定聚」とはどういうことかといいますと
「正しく定まった人々」ということで、
仏に成ることが定まった人達をいいます。


仏教で「さとりの52位」ということが教えられていますが、
そのさとりの位で一番上、52段目が仏のさとり、仏覚です。

この上がないさとりのくらいですから「無上覚」ともいいます。
それに対し、私達はなんのさとりも開いてはいませんから、一番下に
いるということで、私達と仏様とでは52段の差があるということです。


このさとりの位が一段違うと、どのくらい境涯が違うかといいますと、
我々人間と虫けらほどの智慧に違いがあるといわれます。
ということは、52段も違う仏様と我々では、大変な違いがあるということです。
そして、仏のさとりから一段下、51段目のさとりを等覚といい、
この位に当たるのが「正定聚」なのです。
つまり、もう一段で仏という位です。


そんなところに一番下から一気に高飛びして入ってしまうというのが
「入正定聚の益」です。

これは大変な喜びであり、驚きです。

親鸞聖人はその驚きを「不可称、不可説、不可思議の信楽
といわれました。

これを「横超の直道」ともいい、
「横」とは弥陀の本願力をあらわしますから、
そういう身に救う働きが阿弥陀仏の本願にあるということです。

これが、生きている現在に得る幸せ「現益」です。

 

「当益」
次に「当益」とは「当来にうる利益」ということで、
未来世、死んでからえられる幸せです。

これは誰でも彼でも得られるものではありません。
生きている現在、正定聚の身に救われた人だけが、
死んでから得られる幸せです。

死んで極楽に生まれ、弥陀同体のさとりを開かせて頂ける
という幸せをいいます。

誰でも彼でも念仏さえとなえておれば、
「死んだら極楽、死んだら仏」というのは間違いです。

生きている只今、弥陀の本願力によって、
51段高飛びさせて頂き、正定聚の位に入った人だけが、
そういう幸せに、死んだらなれるのです。

これが、死んでから未来で得る幸せ「当益」です。

このように、本当の仏教では、2度救われるということです。