遇い難きこの法の会を山吹の
花とばかりになすな皆人
仏法というのは人生の目的を教えている。
ちょっとやそっとであえる教えではない。
仏教にであうことは非常に難しい。
何百万何千万だしても聞けない教えです。
法とは仏法。
仏法イコール真実ですから。
大宇宙の真実を説いたのが仏法ですから。
遇うことの難しいこの仏法との出会いを、山吹の花としてはなりませんよ。
御縁があって宿善があって折角生きる目的をハッキリ知らされたのだから、
この御縁を絶対無にしてはならない。
山吹の花にしてはなりませんといわれている。
どうしてここで山吹の花と言われているのか。
実ができない花だそうです。
花はできるが実を結ぶことがない。
山吹の花は咲いても。
ここでは仏法と出会い、折角万劫にもない絶好のチャンスを手に入れながら
途中で挫折したり脱落して決勝点まで進まないまま
死んでしまったら本当に勿体ないとここで言われている。
実を結ぶところまで、信心決定人生の目的を果たすところまで
何が何でも求めなさいと言われている。
山吹の花とばかりにしてはなりませんよと言われている。
命の火が燃え尽きるまでに、決勝点まで頑張って貰いたい。
そう言う思いが込められている。