仏教研究室

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どうして浄土真宗では救われたことが分からないと言いだしたのか

いつとはなしに救われるということは、
死ぬまではっきりしないということですから、
晴れたも曇ったもわからない、
浮世の空にかかる雲なしという日本晴れの大安心大満足の身にはなれない
ということになってしまいます。
死ぬまで助からないということになります。

どうして、このようなあきらかなことを捻じ曲げていったのか。

蓮如上人は御文章の中に三世の業障が
あっという間になくなるとおっしゃっているのです。
一時に罪消えての一時というのは、
一念のことをおっしゃっておるのです。

三世の業障とは後生の一大事のことをおっしゃっている。
それがあっという間に抜けるとおっしゃっているのです。
これがはっきりしないと浄土真宗の僧侶の連中はいう。

奥さん羽織に何かついてますよ。
今糸とってあげましたよ。
糸屑くらいなら取られる前も取られてからもわかりません。

しかし、今40キロも60キロもする重たい荷物を背負って
辛い辛い、いつおろせるんだと苦しんでいる人が
後ろからその荷物をとって頂いて、
取られたのやらとられんのやらわからんという馬鹿なことはない。

後生の一大事の荷物を背負ったことがないのです。
その荷物を阿弥陀仏に抜き取られ、
受け取っていただいた味がわかるはずがないのです。

後生の一大事というお荷物を背負って泣き泣き仏法を求めた人は
三世の業障一時に罪消えたということがあるはずだし、
ああ、なんと幸せ者であったのかと躍り上がるんだぞ、はっきりするんだぞ
と教えていかれたのであります。

ああ、多生にもあい難き本願力に今あえたり
億劫にもえがたき真実の信心を今えたりと
親鸞聖人はおっしゃっています。