仏教研究室

仏教を研究しています。

自分の死は臨終になるまで分からない

今までは他人のことだと思ったに
俺が死ぬとはこいつたまらぬ

これはある有名な医者が歌った歌ですが、
医者は人の死をみとる、人の死ばかりみているんですけど、
人の死を観ているときと自分の死を迎えるときとは全く違う。

天地雲泥の差がある。
檻の中の虎を観るときとジャングルの虎を見るとき。
我々は他人の死しか分からない。
自分の死は臨終になるまで分からない。
目の前が真っ暗になる。
ガンと宣告されるだけで、目の前が真っ暗になって、大地が崩れ去る気持ちになる。
しまったと後悔する。
今までは動物園の虎、人の死、人や先人や先、自分の死ぬことは計算に入っていない。
自分の死と人の死は全然違いますから。
みなさんもこういうとき来ます。
まだまだ死なないと思ってもこういう後悔を残してはならないと言われている。
死という問題が私の死となれば居眠り半分で聞いておれない。
鯖の目が腐ったような目で聴聞できない。
どんぐり目で聞かずにおれなくなる。
それがどうしても人の死、他人の後生としか思えないから。
休み時間は目が醒めるが、聴聞となると眠くなる。
我々はろくな種蒔きがないからそう言う人が出てくるが。
おのれの後生 に驚いたら仏教聞いているときに眠たくなる、
そんなことは考えられない。
どうして眠たくなるのか貴方の後生の一大事だぞ、
後生の一大事をなんと思っているのか。

自分の死ということ。
ひとえに宿善まかせですからなかなか自分の死と思えませんが、
思えるかどうかはあなたが一回一回の御縁を大切に求めていく。
だから宿善を大切に求めて貰いたい。