仏教研究室

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別れ路のさのみなげくな法の友

別れ路のさのみなげくな法の友
また遇う国のありと思えば

法然上人のお歌

別れ路、いよいよ親鸞とも別れが来たか。
親鸞聖人は越後、法然上人は土佐。
おそらく今生最後の別れとなるだろう。
しかし、さのみ、これはそんなに。
そんなに嘆き悲しむな。
法の友、法友だから。

これは、誰でも死んだら極楽いけるということではない。

あくまでもこれは信心決定した人の心です。
多くの人が誤解するのは、
いよいよ別れの時が来たがそんなに嘆くな
また弥陀浄土で会えると思うから。
誰でも弥陀浄土で会えると思うから。

そうではない。

信心決定したもの同志なら再度の面会は弥陀浄土で会うことができる。
この世では会えませんが、信心決定したなら弥陀浄土で会うことができる。
また会う国のありと思えば。
再度の面会は弥陀浄土
これが断定できる。
自信いっぱい断言できる。
また会うことができるから、今しばらくの間でのわかれでしかない。
弥陀浄土であえるではないかとおっしゃる。
しかし今しばらくの別れでもつらい。
弥陀浄土であえるとは分かっていますが
別れのつらさをこのように表さずにおれなかった。

阿弥陀経という経典にこういう言葉がある。

倶会一処。
これは信心決定したものは倶に一つの処であうことができる。
極楽浄土で会うことができると、こういう言い方でお経にある。

これなぜかたまににある。
間違った使い方ですけど。
で一緒にあえると。
骨は一緒でも魂が違うから。
信心決定しない限り会うことはできない。
あなたもこういう歌を歌える身になってもらいたい。