仏教研究室

仏教を研究しています。

禅宗の開祖ダルマさん

極楽地獄に通う分かれ道
踏み迷うなとにらむダルマさん

これも知っておいたらいい。
達磨大師と言えばもとはインドの人で120歳で中国に渡った。
禅宗の開祖です。
ダルマさんがあんな怖い顔をしているのは、厳しい修行に挫折しか
かって、もう辞めようかなという心を自分で誡めている。
それはそのまま我々、ダルマさんのように極楽に我々はいかねばなりません。
地獄にだだ走りしようとしているのが我々。
それを誡めていかねばならない。
慢心を叩き向上心を持つ。
反対に怠慢、怠惰な懈怠な心で恩を忘れ恩に背き恩に逆らう生活をして
恨み呪って人のせいにしているそんな人は益々、蟻地獄になります。
極楽地獄か心構え一つで決します。
どう言う心で日々生活すればよいのか、端的に教えて下さっている。
正に今人生の分岐点。
極楽へ行くか地獄へ行くかの分岐点にたっている。
我々は常に聞かせていただかなければ地獄に駄々走りするから、常に聴聞をする。
我々の心こそが迷わす心ですから。
仏教で我々の心を惑という。
惑というのは煩悩
元々迷いいっぱい。
そう言う私たちだから因果の道理を何度も聞かせていただき、
無常と聞いても上の空、真実に背く、反した心しか持っていないから。
常に教えを頂いて。
向上心を味方にし自惚れ心を叩いていく。
おかしな心を叩いていく。
あなたの心一つで地獄極楽かにわかれてくるから。
心許せば身の破滅と教えて下さります。
常に戒めて貰いたい。
極楽地獄に通う分かれ道と言うことで、こういう例えで教えられた

非常に心に強く残った話ですが、最初の頃考える。
仏教を聞き続けるかどうか。

地獄へ行くか極楽へ行くかの分かれ道に君はたっている。
幸福にも相対の幸福と絶対の幸福がある。
相対の幸福のみ、言葉を考えればどう生きるかのみを考える。
下り坂だ。
下り坂だから楽。
しかし先が見えている。
臨終になれば全てに裏切られる。
途中までは楽だが、途中で道が無くなっている。
崖から落ちる。
こういう道を行くか、上り坂を行くか。
下り坂は楽だが最後身の破滅を引き起こすが、上り坂は林があって道が見えない。
しかし地図がある。
林を通り抜けていけば素晴らしい大豪邸がある。
そこにいけば欲しいものが何でも手にはいる。
地図を羅針盤として地図の通り進んでいけば、
つまり教えの通り進んでいけば極楽浄土の世界がある。
どちらを選ぶのが賢いかなと言われた。
これを聞いて俺は地獄で良いという人はないと思います。
辛いけどもこの道を行った人の方が利口。
相対の幸福で幸せになった人があるか。
まさにこの話、歌の通り、
まさにあなたが地獄にいこうとしているのを先輩が止めてくれた。
先輩が地獄に言ったら駄目だと引っ張って下さっている。
迷っているのが我々だから。
間違うなよ道を迷うなと誡めて貰えないと進めないのが我々です。