仏教の目的は抜苦与楽。
人生苦なり。
人生の実相が楽しいものなら何も教えを求める必要はない、
けれど苦しいものだから、何かを求めて対処しなければならない。
お釈迦さまの第一声がこれであった。
ではなぜそうなるのか。
まず人生の現実、実相を教えられ、
それから、ではその苦しい人生何のために生きるのか、
ここから仏教が始まる。
次に因果の道理。
私達の運命は一体何によって決まるのか。
私達は幸せを求めて生きている、ではその幸せはどこからやってくるのか。
そういうことをお釈迦さまが教えられた。
原因と結果の関係、善因善果、悪因悪果、自因自果、
自分にかえってくる運命は全て自分の行為による。因果応報。
神が左右するとか、星の位置によるとか、そういうことではなく、
全て自分の行為による。
ではその運命を決める行為とは?インドの言葉でカルマ。
身業、口業、意業。
だから次の問題に三業がある。
身体や口も私の運命を変えるけれど一番重いのは心。
身体や口なら経験から分かるけれど、何故心も?
人の目に触れないのに。
そこで次に八識。
私達が行いをしたならそれが阿頼耶識に業力となって蓄えられる。
それが縁に触れると結果を引き起こす。
このように運命が何によって決まるかを明らかにされている。
この因果の道理を徹底すると三世因果になる。
孔子が説いたのは、この世生き方をよくする因果。
その孔子にある人が死んだ後どうなるのか聞いたら、
生も分からないのに何で死んだことが分かるんだと答えた。
三世因果を徹底しているのは仏教だけ。
自分が受ける結果は全て自分の種まきによる。
だから過去世がある。
死ぬというのも結果であり原因である。
その結果もあるのだから来世がある。
三世因果を教えられてその結論として、
廃悪修善もそうですが、過去も未来も現在に収まっている、
「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の因を見よ」
記憶喪失になっても今の結果をみれば過去の因が分かる。
過去も知りたいけれどもっと知りたいのは未来。
早ければ今日から、今からでも後生。
自分は一体どこに行くのか、どういう状態になるのか。
それも現在の種まきを見れば分かる。
三世因果の結論は現在の自己を見よ。
本当の仏教の教えは平生業成であり、現生不退、不体失往生 。
何れも現在の教え。
現在の自己を見よと教えられたのがお釈迦さま。