仏教研究室

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人生の目的と善の関係

諸善万行ことごとく
 至心発願せるゆえに
 往生浄土の方便の
 善とならぬはなかりけり
         (浄土和讃

「至心発願せるゆえに」
とはどういうことか。

これは、阿弥陀仏の十九願に出ているお言葉

設い我仏を得んに、十方の衆生菩提心を発し、諸の功徳を修し、
至心に発願して、我が国に生れんと欲わん。
寿終るの時に臨みて仮令大衆と囲繞してその人の前に現ぜずば、正覚を取らじ。


菩提心をおこし」とは本当の幸福になりたい、
崩れない、壊れない本当の幸せになりたい、
よーしやるぞと奮発心を起す。

どんなきっかけでも良い。

「諸の功徳を修し」もろもろの善をしなさい
「至心に発願して我が国に生まれんと欲わん」
まことの心で阿弥陀如来極楽浄土に生まれたいという願いを起して、
善い事をやりなさい。

十九願は方便願。

これは絶対必要だから善導大師は「要門」と仰有った。
要(かなめ)であり、重要、必要である。
この様な心でやれば、至心発願するから往生浄土の善となる。
だから善に向かってではなく、
光に向かってという。

みんな、どうしたら幸せになれるか分からない、
だから迷信、占いを信じてしまう。
占いで本当に幸せに慣れるなら、自分が幸せになっているはず。

日常生活の善根が大切なのです。

人生の目的は「無碍の一道」。
それは、「諸善も及ぶことなき故に無碍の一道なり」であって、
私たちがどんなに善をやって受ける善果も及ばない幸福が絶対の幸福、
死が来ても崩れない幸福。

しかし、私たちのやる善は宿善になる、
人生の目的に近くことができる。
その根拠は十九願、そして二十願、十八願と人生の目的を達成する事ができる。

人生の目的は、弥陀の本願力でなければ達成できないが、
善をしなければ人生の目的に近づくことはできない。

聴聞が一番であることは勿論、また次がお勤めです。
導師をさせて頂くこともよいことです。

底知れぬ程淋しい処が人生である。
それが信心決定すれば無限に楽しい人生となる。

だから、一人一人が人生の目的に向かって努力精進して行きましょう。