善導大師の
「不得外現賢善精進之相」の従来の読み方を
親鸞 聖人が読み替えられたことについて。
「不得外現賢善精進之相」
これは元々善導大師のお言葉です。
同じ文章を親鸞聖人が読み替えられました。
ただ読み替えられただけではなく、意味まで逆転された。
では
三業の善を勧められた善導大師のお言葉と読み替えられた親鸞聖人のお言葉。
善導大師
「外に賢善精進の相を現じて内に虚仮をいだくことをえざれ」
親鸞聖人
「外に賢善精進の相を現ずることをえざれ、内に虚仮をいだけばなり」
親鸞聖人は読み替えられている。
親鸞聖人が引用されているところ。
信巻です。
ここは善導大師の観無量寿経疏の散善義を引用されているところです。
読み替えて引用されています。
この部分のことです。
では善導大師の言われたことと
親鸞聖人の引用していわんとされたこととどう違うのか。
まず善導大師は、外に賢善精進の相を現じて、
外というのは三業の中で、外から見えるところ、つまり身業と口業です。
外→身業、口業
身体の行い、口の行い。
この外に賢善精進の相を現じなさい、
身体と口で良いことをしなさいと言われています。
あの人は立派な人、いい人、努力しておられる人、そういう姿を外に表しなさい。
身体の行い、口の行いをそのように良い行いにしなさいと言うことです。
そしてかつ、内に虚仮を懐くことをえざれ。
内とは意業
内→意業
内に虚仮をいだくな、と言うことは、嘘、偽り、誤魔化し、
外側だけ立派な行いをして内では虚仮不実な事ばかり思っている、
それでは駄目ですよ、
外と内の不一致を戒められた、一致させなさい、
外側だけ立派なことやっていても心では嘘、偽り、不実、
そんな醜い事ばかり思っていては駄目ですよ。
ですから外も内も賢善精進で有りなさいということ。
身口意の三業みな良いことをしなさいということになります。
「三業の善を勧められた」
と言うことです。