仏教研究室

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悪を悪とも思わないというのは、心の麻痺?

信仰がすすむと、悪を悪とも思わない心が知らされてくる
ということは、罪悪に関する感覚が麻痺するのでしょうか?

これは鈍感、鈍くなると言うことではありません。
悪を悪とも思わない自分だなということが知らされてくる。
仏法を聞くまえとくらべてこれが悪い事なんてちっとも思ってなかった。
これほど自分の心を厳しく見つめる教えだとは知らなかった。
そう思って見つめている、間違いなく法鏡にちかづいている、
「でも」「でもどうせわからないだろ」「でもおれだけじゃない」
という心が見えてくる。
自分の悪が見えてそれを懺悔する心がおきるならまだしも
見えては来るけれど一方で、誰も見ていないし、
悪だとは思っていない心がある。

悪いことを悪いことと思う人は、善人。
まだ立ち直れるが悪いこと
を悪いことも思わないのでは立ち直ることはできません。
闡提と言います。
屍、そういう心が見えてきます。
それを信仰が進むと己の罪悪に関する感覚が麻痺する、
ということではありません。
麻痺した心が知らされてくるのです。

罪悪が知らされるから、それを驚かない罪悪が知らされて来るのです。
それはすすまなかったらそんな心も分からない。

まちがいなく、信仰が進んでいる証拠です。
その道を進んでください。