世の中には、救われたかどうかハッキリしない人ばかり。
いつとはなしに救われたとか。
しかし、それが救われたといえるのか。
肩の糸くずを取る。
「分かったかな」
「分かりません」
糸くずが取られたくらいでは分からない。
しかし、担いでいた椅子を取る。
これは、あれだけ重いものを持っていたのだから
はっきりと分かる。
「あんた湯加減はどうやね?」
「いやあ、分からん」
自分が風呂に入っとって分からんということがあるか
「あの料理はどうだった?おいしかった?」
「うーん、分からん」
自分が食べた料理の味が分からないということがあるか
合格通知をもらっても合格したということが分からん。
それはまだ合格していないということ。
合格すれば本人が一番はっきりする。
仏教では、救われたらハッキリする。