正しい信心を獲たら心がどう変わるか、
ということを
あなたはっきり知っておいて頂かなくてはならない。
なくなるのは疑情です。
欲や怒りや愚痴の煩悩はなくなりません。
疑情がなくなって明るい心になったことを、
本願文ではどう仰っていますか?
信楽の「信」。
「信」とは、闇が破れたこと。
これを「破闇」という。
信楽とは破闇満願。
満願とは、願いが満たされて、
この願いは私たちの願いではなくて弥陀の願い、
私たちを本当の幸せにしてやりたいという願い。
その願いが満たされたのが信楽の「楽」
ここでなくなるのが疑情、なくなるのは疑情ですよ。
なくならないのは煩悩、なくならないどころか減りもしない。
正信偈にはこうある。
已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧
常覆真実信心天(正信偈)
すでに無明の闇を破すといえども、
貪愛瞋憎の雲霧は常に真実信心の天を覆えり。
すでに破れたといわれる無明の闇とは疑情のこと
常に真実信心の天を覆っている貪愛瞋憎とは、
貪愛は欲
瞋は怒り
憎は憎しみということで愚痴
煩悩を雲や霧に譬えておられる。
助かったかどうかは信疑決判、これは大事な言葉。
疑いが晴れたかどうかで決まる。