仏教研究室

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浄土真宗で教えない親鸞聖人の論争

現在の東西本願寺はじめ浄土真宗十派では、三大諍論教えない。
教えたら自分の首をしめる。
坊主と言っても無知なんです。

たとえば親鸞聖人と善慧房証空との体失不体失往生の諍論。
この体失不体失往生とはどういうことか。

往生とは、救いのこと。

親鸞聖人は不体失往生。
善慧房は、体失往生。

始め、証空が
「皆さん。釈尊がこの世にお生まれになったのは、
 阿弥陀仏の本願一つを説かれるためでした。
 死んだら助ける、有り難いお約束です・・・」

そこで親鸞聖人が、
「お待ち下さい。この親鸞は、ただ今救いたもうた本願を喜んでいます」
死んだら助ける。
ただ今救う。
全然違う。
善慧房と言えばすごい学者。
世間の人には法然上人の弟子の中で、この善慧房が一番頭がよい、という学者もいる。
まだ親鸞聖人はお弟子になったばかり。
その善慧房に向って、真っ向から反する事を言われた。

「何を言われる親鸞殿。今救われたとな、そなたは。
この世はどうにもならんもんじゃありませんか」

みんなそう思っている。
この世で救われる。
そんなことあるかい。
この世は娑婆と仏教でも言うだろう。
科学が発展した。
文明が進歩した。
やがて21世紀になろうが、善慧房と同じ
じゃないですか。
学校の先生が犯罪を犯す。
消防士が火をつける、政治家が、汚職する。
いつの時代でも、同じだ。
独裁制ではダメだ。
民主制でないと。
しかし民主主義になったが、大統領決まらん。
時間かかる、お金かかる。

チャーチル
「民主制は最低の政治形態だ。ただし、民主制以外のすべての政治形態を除いては」
といっている。
彼らしいね。

せめて死んでから幸せになるか。
ああ、阿弥陀様、ありがたい。
善慧房は全人類の代表。
クリントンも「ヒラリーに頭があがらん」
森総理も
「野中に頭あがらん」みんな、そう思っている。

どんな人も、「死んだら助かる」を変えられない。
マルクスが、この世を改革しようと考えた。
しかし、実際に革命起そうとした人は、みんな失敗した。
この世を何とかしようとした人は沢山いる。
しかし、やっぱりこの世はどうにもならん。
キムタクが工藤静香と結婚。
どうにもならん。

そういう全人類の迷いに、親鸞聖人が
「今腹痛で苦しんでいる人に、死んだら助けるという医者があるでしょうか」
「今溺れて苦しんでいる人に、土左衛門になったら助けるという人があるでしょうか」
「ましてや仏様です。死んだら助けるなどとお約束されるはずがありません」

しかし、善恵房は、その根拠を求めた。

「いくらあなたがもっともらしいことを言っても、
 経典にないことは仏教ではありません。
 お経のどこに今救うと説かれていますか」

親鸞聖人は
「あります。

『若不生者不取正覚』
 若し生まれさせることができなければ、
 仏のさとりを捨てる
 と誓われているではありませんか」

それを聞いて善慧房どう思ったか。
頭下げたか?

高笑いした。
黄金バットみたいに。
親鸞殿、それこそ私の言うことの根拠じゃありませんか。
 死なねば生まれる事はできませんからね」

これだ。
それを聞いて隣の司会者が、
「なるほどその通りですね」
全然仏法分かってない。
参詣者も、みんな親鸞聖人に疑いのまなざしが。
「死なねば生まれられませんからね」
その通り、善慧房殿のおっしゃる通り。

「若不生者不取正覚」
100人が読んだら100人そう思う。
1000人が読んだら、1000人がそう思う。

やっぱりこの世はどうにもならん、ということじゃないか。
だから死んだら、助かるということだろう。
どの宗教でもそう。
創価学会は、くだらん現世のご利益。
幸福の科学
この世は修行の場。
修行して、死んだらステージがあがる。
同じだ。
キリスト教も一緒。
「死んだら神の国

ところが親鸞聖人「誤りはそこです。
あなたの誤りは、実にそこにあるのです」
これは善慧房にだけ言われたのではない。
全人類に向かっておしゃっている。

「死ぬとか生まれるとかは、肉体のことだけではありますまい」
実に微妙な表現。
大衆は全部善慧房の味方。
本当はズバリ、肉体のことではない、魂のことなんだ、と言われたい。
しかしあえてワンクッション置かれた。
「肉体は死ねば焼いて灰になるもの」
一つ一つコトっと納まる。
「肉体よりも、心を重んずるのが、仏法ではありませんか」
なるほど、そうか。

阿弥陀仏は、私たちの暗い心を、明るい心に生まれさせると誓っておられるのです」
心を生まれさせる。
闇の心を信楽の心に生まれさせる。

「俺の心が暗い。なんだその暗い心とは」
「何のために生まれてきたのか。
 何のために生きているのか。
 なぜ、生きねばならぬのか。
 分からないでしょう。
 後生くらい心を抱えて、生きてはいませんか」

なるほど、それが暗い心か。
確かに何のために生きるか分からん。
これが暗い心か。

そこで聞いていたばあちゃんが、
「なるほど、そうじゃな」
ばあちゃんいい役している。
脇役も脇役の大切なところがある。

多分始めてみたときは、
「あああ、善慧房のアホ。何を言っておるんだ」
と思ったかもしれない。

この体失不体失往生の諍論を見て、
「馬鹿だなあ、証空は」と思っていないか。
そんな程度に、聞いてはならない。
逆にいえば、なぜ、日々法然上人のご説法を聞きながら、
しかも優秀な善慧房は、なぜ聞き違えたのか。

一回聞いてすーっと分かる人いない。
何回も聞いてもらいたい。