仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

なぜ人間に生まれたことを喜ぶ?

なぜ人間に生まれたことが喜ぶべきことなのか。

源信僧都の横川法語という言葉があります。

まず三悪道を離れて人間に生まるること、大なるよろこびなり。
身は卑しくとも修羅に劣らんや、家は貧しくとも餓鬼にはまさるべし。
心におもうことかなわずとも地獄の苦にくらぶべからず。

 

三悪道とは、六道の中でも苦しみの激しい
地獄
餓鬼畜生の3つの世界。

 

畜生は動物の世界。目で見える。

餓鬼界は体中が骨と皮でガリガリにやせほそって、
食糧難で苦しむ世界。

今もアフリカとかにもある。
そういうような人達は満足な教育も受けられず、
声を発することもできない。

餓鬼界衆生は、飲むもの食べるものを口に運ぶと青白い炎となって
食べることができない。

地獄界というのは、もっとも苦しい世界。
8つに分類されている。
その中でももっとも苦しみのひどくないのが等活地獄
等活地獄衆生というのは、ふと見ると目の前に活かしてはおけない
不倶戴天の敵がいて、爪でひっかく、やられた側は、また爪でひっかく。

あげくのはてに、小さな肉片だけが飛び散ってバラバラになってしまう。
そうするとどこからともなく地獄の獄卒がやってきて、
カツカツと地面を叩くと肉片がぴくぴくと動き出して
元の姿に戻ってまたやりあう。

これを地獄の業相という。
サッチー対ミッチーとか、デビ夫人とか。
いろんなところでひっかきあいをやっている。

ところがこの等活地獄というのは、もっとも苦しみのやわい世界。
三番目に衆合地獄というなかには、刀葉林地獄というのがある。
葉っぱが全部刀でできている。
そういう林。

ここに堕ちた男が、この下にくると、上のほうから
「あなたー、カモンカモン」と聞こえると思いきや、
かつてこの男が恋こがれていた女がなまめかしい姿で呼んでくる。

この木を登っていくと、刀がグサグサささる。
登れが登るほど傷がつく。
普通ならやめます。
ここをよじのぼって血まみれになって、彼女の所へいくと、
さっき自分がいたところへテレポーテーションしている。

そうするとまた下り始める。
やめときゃいいのに、それがやめられない。
そしてここまで来るとまた消える。
そういうことを何回も何回もやっている。

これもどこかでやっている人があるように思います。

ところがこれらはまだ序の口でありまして、
8番目の無間地獄というのは、苦しみに悩みに絶えまない。

この三つの世界を三悪道といわれている。
三悪道を離れて人間界に生まれたること多いなる喜びであると、
仏教では教えられている。