仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

真実へ導く方便

「願海につきて、真あり仮あり」教行信証

「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」教行信証

信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。
真心を開闡することは大聖矜哀の善巧より顕彰せり」教行信証

蓮如上人仰せられ候、"方便を悪しということは、あるまじきなり。
方便を以って真実を顕わす廃立の義、よくよく知るべし。
弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる"
由仰せられ候」(御一代記聞書)

 

 阿弥陀如来釈尊も歴代の善知識方すべてが、
我らが無上の信心を発起させんが為に種々に善巧方便なされているのに、
その方便を無視したり軽視したり、
果ては悪呼ばわりするに至っては言語道断、仏法ではありません。
蓮如上人仰せの通り、阿弥陀如来釈迦如来、正しい仏教の先生方の
ご方便がなければ、絶対に信心獲得はできないのです。

真実の世界というのは、他力です。
そこまでは、自力です。
18願を立てられた阿弥陀如来のみ心を、
他の誰より分かっておられた釈迦仏が
その18願のみ心を明らかにされたのが「大無量寿経」、
19願を「観無量寿経」に
20願を「阿弥陀経」に明らかにされました。

そして19・20願を明らかにした観無量寿経阿弥陀経の教説を経て
無量寿経へと進ませたのが釈尊です。
「釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し 
 我らが無上の信心を 発起せしめたまいけり」
と教えられるのはこのことです。

またこれと同じことをいわれたのが
信楽を獲得することは如来選択の願心より発起す」です。

とにかく、目的を果たすに絶対必要なものが手段である方便なのです。
よくタクシーの話をされます。
タクシーに乗ったらまず最初に目的地を言います。
そのタクシーの運転手が不慣れで道を知らなければそこへの道程をも教える。
目的地を言うのも私なら、そこへの最短経路を教えるのも私、なんですね。

また、十方衆生を絶対の幸福に救うというのは、ちょうど2階にあがって
綺麗な景色を見せてやるということです。
しかしその為には、階段が必要、はしごが必要になります。
それをつけてやらねばならない。
19願で阿弥陀如来  が善を勧められたり、
20願で念仏を勧められるのは、
絶対の幸福という2階に導くのにどうしても必要な
はしごのようなものだからなんですね。