私たちが仏教講座に行って仏教の教えを聞かせて頂きますと、
『いやなんて素晴らしい教えなんだろうか、今まで聞いたこともなかった』
という喜びや感動が起きてきます。
すると、その素晴らしい仏教の教えを
自分だけ聞いているのでは余りにも勿体ない。
どうかもっと多くの人に聞いてもらいたい、
と思って自分の唇で聞かせていただいた法を
説き明かすことを説法と言います。
誰か仏法の話を語る人の
その話を聞くことで聴聞 と言いますが
それに対して自分が知らされた教えの内容を
明らかにすることを顕正っていいます。
真実の仏法を聞かせていただいて、
ああ素晴らしい教えだなあ、と分かると
人に言わずにおれなります。
これはよく仏法を旨い蕎麦を食べたときに喩えて
「美味しい蕎麦だ。
普通のラーメンはそんなに美味しくなかったけど、
にんにくげんぶつラーメンってなんて美味しいんだ」
そうなると
「あなたも一つ食べてご覧なさい。こんなものちょっとないぞ」と
言わずにおれなくなります。
あなたが仏法を理解するほど教えの深さが分かるほど
こんなすばらしいことあの人にも聞かせて上げたい、
という気持ちになります。
その気持ちがどれくらい強いかで、
仏教をどれくらい理解したかが分かると
いわれるんですね。