仏教に
「たのむ」
という言葉があります。
この「たのむ」というのは漢字で書くと
「憑む」です。
たのむというと普通は「頼む」という字で、
「お願いする」という意味で使っています。
「たのむから僕に答案をみせてくれ」
「好きと言ってくれ」
「焼き豚おくれ」
とか
「お願いする」という意味で使われます。
今から500年前、親鸞 聖人の教えを明らかにされた
蓮如上人は、たのむというのはお願いするという
意味で使われませんでした。
当時そういう意味はありませんでしたから。
「たよりにする」「あてにする」という意味です。
御文章で「たのむ」というのを
「たより」「アテ」にしているという意味で
使われているのはどこでしょうか?
御文章1帖目11通電光朝露に
「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」とあります。
いよいよ死んで行くときには
これまで、たよりにして来た、アテにしてきた妻や子供、お金や財産も
何一つ持ってはいけません、
ということです。