あるとき禅宗の僧侶の仙崖が谷底で寒さに苦しんでいた乞食に
一枚のはおるものを与えたことがありました。
ところが、その乞食はそれをとるなり、
すぐ身に纏ってしまいました。
何もいいません。
そして仙崖はその乞食が何もいわないので、
「おーい、あたたかいか」
と聞いたのです。
すると乞食は
「あたりまえじゃ、与えられる我が身を喜べよ」
と言ったのです。
仙崖は、自分の恩着せがましい心を
乞食に見破られてしまったのです。
あたたかいか、ときくということは、
お礼を求めている心からなんですね。
純粋に暖かくなって欲しいということなら、
別にお礼がなくてもどうでもいいのです。
しかしそうではなかった。
お礼を期待する心が働いているのを知らされたのです。
仏教では、人間はこういう雑毒の善しかできない
と教えられているのです。
こういう姿をしている私たちの姿を
ブッダは
「心常念悪」、
心は常に悪を念っている
と説かれています。