仏教研究室

お釈迦さまってすごいですよね。一緒に仏教を学びませんか?

恥じる気持ち

人にみえるところだけ取り繕っていても、
人のみていないところで、心でどんなことを思っているか、
心をみつめていかねばなりません。

罪を罪と知り、と知って、これを恥じる人は、上の人間。
罪を罪と知らぬ人は、中の人。
罪と知り悪と知って、これを改めない人が下となります。
上・中の人は救う手段はあまりすが、
下劣の者は救済する縁がありません。

誰でも、をつくらない人はありません。
罪をつくらない人はありませんが、
罪を罪、と知って、恥ずかしいという思いのある人は、
これを改めていこうという気持ちがありますので、
正すことのできる人です。

罪を罪と知らない人は、
悪いということがわからないのですから、
恥じる気持ちはありません。

今日は、寝坊をしましたとか、
1日だらだらすごしてしまいましたとか、
恥ずかしいという思いがない。
普通は恥ずかしくて、とてもいえないことです。
そんなに悪いと思っていない。
それは教えてやらねばならないことです。
しかし、恥じる心があれば、正すことができます。

罪を罪と知っていて、
改めようとしないのはどうしようもありません。
救済の縁がありません.

悪を悪とわかったら、改めなければならない。
必ず、報いとなってかえってきます。

私達は、そうであってはなりません。
因果の道理を知らされた私達は、悪をやめよう、
をしていこうという廃悪修善に心がけていかねばなりません。

因果を信じなければ報いが来て後、後悔する。

悪い運命がやってきて後悔することになります。
臨終に泣いて後悔しなければならない。
絶対の幸福になるのが私達の生きる目的
絶対の幸福に向かって、進ませて頂きましょう。