前回の求法太子の話で、
最後、求法太子が火の中に飛び込もうとした時、
身内のものは止めようとしましたが、
太子の求道心はますます燃え上がりました。
「わたしは今日まで過去無量劫の間、幾千万の生死をくり返してきた。
しかも、そのいずれの時も、
欲の為に死に、怒りの為に死に、愚痴の為に命を捨ててきた。
いまだ、法の為に命を捧げたことは一度もなかった。
その為に、長い間苦しみを受け続け、一日として安らかな時はなかったのだ。
ところが今、私は真実の法の為に、命を捨てる絶好の機会を得た。
それなのに、また、そのチャンスを捨てよと言われるのか。
今度こそ、真実の法の為に死なせてはくれないか」
周りの反対の手がゆるんだとき紅蓮の炎の中に太子は飛び込んだ。
その瞬間、蓮の花の中に求法太子がいた。
私たちは、どれだけの覚悟で生きる目的を求めようとしているのか
どれだけの代償をはらって仏法を聞かせてもらおうとしているのか
反省していかなければなりません。
善知識の仰せに対して、
「そうはおっしゃれど…」
という心が出てきますが、それは自力の心です。
そんな心ではこの道、進ませて頂くことはできません。
この身になるために私たちは生まれてきた。
欲や怒りや愚痴の為に生まれてきたわけではありません。
どれだけ求めても永遠にあえずに死んでいく人もいます。
何の御縁か本当の生きる意味を知らせて頂いたのです。
このあい難い真実にあうことができました。
それはどんなに喜んでも喜びすぎる事はありません。
本当の生きる意味を知らせて頂いた今生こそ絶好のチャンスです。
生きる目的を知らされた喜びをかみしめて
仏教を聞かせていただきましょう。